「少年期の造形」はギャラリー惣門で見られるよ。
鉈屋町・ギャラリー惣門へ「少年期の造形‘06 PART2」を見に行く。橋場先生もギャラリーに居り、和紙にいたずら書きをしながら、ボーダレスアートの在り方を巡って少し歓談。あとは、今後のスケジュール関係のやりとり。それにしても、橋場先生とじっくり語らうのはいつ以来だ?前者のボーダレスアート云々に関しては、特にライフ展(水戸芸術館)なんかを見ても、ことさらにボーダレスを強調しないところに物事の奥行きがあるのでは見たいな話にもなった。そして、作品群は70年代から90年代にかけての、盛岡市やその周辺町村の中学校の作品や幾つかの高校の作品が並べられていた。殊に中学生の作品は、「みずみずしい“少年”の日へ~」というチラシのコピーも全然大袈裟でないほどのみずみずしさを湛えていて、30年以上昔のモノとは思えない精彩を放っていたのがすごく印象的だった。自分が通っていた中学校の美術室にも、生徒作品はいくつも並べられていたが、こんなに生気は感じなかった。コチラの感性の問題なのか、作品の問題なのかはさておき。ただ、別に悪気とか不満とかはないのだが、私個人の実感として、あの頃は技術的な面で卓越した作品こそが光を当てられていたという感触は未だに残っている。現在惣門の画廊に飾られた作品群はそういう感覚とは対極にある、生命の息吹を感じさせるすばらしい作品群である。途中橋場先生の教え子だった方と思しき女性もやってきて、自分の作品とどれくらいの月日を隔ててなのか分からないが感動の再会を果たしていた。そして、同級生の消息などについても語らっていて、それもまた、心和むひとときを演出する効果大と感じ入ったのだった。余談だが、最近のニュースから、某大学で男性教授が誤って構内で撮影された自身による知人女性へのわいせつ行為を録画したビデオを、オープンキャンバスのゼミ紹介の際に誤って放映してしまったらしい。どひゃー。別にわいせつ行為はいいと思うのだが(よくないか)、わざわざビデオに撮る教授殿の性癖って?誤って流れた際の人々の反応って?その際にビデオを操作していた学生の立場って?すんません、スレたオトナの興味でした。