ようやく
母のいない生活に慣れてきました。階下の母の部屋に行く度一生懸命看病した日々が頭の中で巡り、最期まで諦めることなく頑張っていた母が不憫で不憫でなりませんでした。でも今はそんな母をとても誇りに思えるこのごろです。明日は生まれ故郷の岡山へ行ってきます。親戚の人と一緒に、お寺さんで49日の納骨や法事の段取りを決めてきます。母も父のお墓に一緒に眠ることになります。でも、私の住む神奈川から岡山は本当に遠い遠い地です...今年は、6月に特別かわいがっていたシーズー犬のショーンを失い、先日母を亡くし、悲しみが癒えることのない一年でした。いったいこの一年で何年分の涙を流したことでしょう...「今を生きる」ということは、死を覚悟して一日を、一瞬を一生懸命生きなさいということなんだろうと思いました。私にもやってくるその日まで、ショーンや母の大切な思い出と一緒に頑張らなくちゃ...