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2019.09.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 柳田国男は、農政官僚、新聞人、民俗学者としてフィールドワークを積み重ね、近代化に立ち後れた日本社会がいかにあるべきかを構想し、社会の基層にあるものを考え尽くしました。


 ”柳田国男-知と社会構想の全貌”(2016年11月 筑摩書房刊 川田 稔著)を読みました。


 民俗学の祖として知られ、狭義の民俗学にとどまらない柳田学として日本近代史上に燦然と輝く、柳田国男の知の体系と知の全貌を再検討しています。


 川田 稔さんは1947年高知県生まれ、1971年に岡山大学法文学部を卒業し、1978年に名古屋大学大学院法学研究科博士課程を単位取得満期退学しました。


 1987年に「法学博士(名古屋大学)となり、1978年に名古屋大学法学部助手、1980年に日本福祉大学経済学部講師、1989年に同社会福祉学部助教授、1990年に教授となりました。


 1996年に名古屋大学情報文化学部・大学院人間情報学研究科教授となり、2012年に定年で退任し、名誉教授、日本福祉大学子ども発達学部教授となり、2018年に退任しました。


 専攻は、政治外交史・政治思想史で、近代日本の政治外交史、政治思想史を専門としています。


 柳田国男は1875年兵庫県神東郡田原村辻川生まれ、明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めました。


 1949年に日本学士院会員となり、1951年に文化勲章を受章し、1962年に勲一等旭日大綬章を受賞しました。


 父は儒者で医者の松岡操、母たけの八人兄弟の六男として生まれました。


 幼少期より非凡な記憶力を持ち、11歳のときに地元辻川の旧家三木家に預けられ、その膨大な蔵書を読破しました。


 12歳の時、医者を開業していた長男の鼎に引き取られ、茨城県と千葉県の境の布川、現・利根町に住みました。


 生地とは異なった利根川の風物や、貧困にあえぐたちに強い印象を受けました。


 隣家の小川家の蔵書を乱読し、16歳のときに東京に住んでいた三兄・井上通泰、帝国大学医科大学に在学中と同居し、図書館に通い読書を続けました。


 三兄の紹介で森鴎外の門をたたき、17歳の時、尋常中学共立学校、のちの開成高等学校に編入学しました。


 この年、田山花袋を知り、翌年、郁文館中学校に転校し進級しました。


 19歳にして第一高等中学校に進学し、青年期を迎えました。


 東京帝国大学法科大学政治科卒業後、1900年に農商務省に入りました。


 高等官僚となった後、講演旅行などで東北を中心に地方の実情に触れるうちに、次第に民俗的なものへの関心を深めました。


 そして、主に東北地方の農村の実態を調査・研究するようになりました。


 当時欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け、日本でも起こっていた怪談ブームのさなか、新進作家だった佐々木喜善と知り合いました。


 岩手県遠野の佐々木を訪問して、”遠野物語”を執筆しました。


 他に、宮崎県椎葉などへの旅の後、郷土会をはじめ、雑誌”郷土研究”を創刊しました。


 方言周圏論、重出立証法などで、日本民俗学の理論や方法論が提示されました。


 一方で山村調査、海村調査をはじめとする全国各地の調査が進み、民俗採集の重要性と方法が示されました。


 以降、日本人は何であるかを見極め将来へ伝えるという大きな問題意識を根底に、内省の学として位置づけられてきました。


 柳田国男はさまざまなイメージがもたれています。


 たとえば、山間僻地の厳しい生活のなかに生まれた伝承の卓越した記述者として。


 あるいは、日本民族の起源について、かつて黒潮に乗って列島に移住してきたとするロマンあふれる仮説を提起した人物として。


 また、しばしば国語の教科書にもとりあげられている”雪国の春”や”海南小記”にみられるような、陰影に富んだ印象深い紀行文の作者として。


 さらには、各地の伝説や昔話に通暁し、カッパや天狗、一つ目小僧などの妖怪についても造詣が深い博識の人として。


 そして、村々の祭やそれをめぐる信仰など人々の日常生活に関わる伝統的習俗についての最初の本格的な研究者として。


 ですが、柳田の知的な世界は、これらのイメージよりもさらに広く深いといいます。


 柳田は、日本民俗学の創始者として知られています。


 近代化以前における日本の生活文化の全体像を明らかにすることが、民俗学研究の課題でした。


 当時の人々の生活は、近代化とともに西欧化されつつありましたが、他面、近代化以前の伝統的な生活文化を色濃く残していました。


 生活文化の西欧化された側面は比較的よく知られていました。


 ですが、近代化以前の生活文化は、全体的な相互連関が分断され、その個々の意味が忘れ去られていく状況にありました。


 柳田は失われつつある伝統的な生活文化の全体像を、改めて描き出そうとしたのです。


 そのために、文献資料に止まらず、広く民間伝承を収集・分析する新しい方法を確立しました。


 民間伝承には、人々の風俗・習慣、口承文芸、伝説・昔話などが含まれます。


 柳田は、一般の人々の実生活の全体とその歴史を学問的に把握しようとした、独創的な研究者だったといえます。


 また柳田は、近代日本の代表的な知識人・思想家の一人でもあります。


 知的世界は、民俗学の領域のみならず、政治・経済・歴史・地理・教育など、人文科学一般に及んでいます。


 そして、そのような柳田の「知」は、日本社会の将来についての独自の「構想」に支えられていました。


 国のあり方、社会のあり方についての構想が、柳田の広範な知的活動のバックグラウンドとなっていました。


 また逆に、その構想・思想それ自体が、知的活動の果実でもありました。


 柳田の知と構想は、現在でもなお示唆的な内容をもっています。


 そこで本書は、柳田の知的世界とそれを支えている構想を明らかにするとともに、その現代的射程を考えていきたいといいます。


 本書では、その広がりと深さを、できるだけ平明にお伝えするよう努めました。


序章 足跡と知の概観/第1章 初期の農政論/第2章 日本的近代化の問題性-危機認識/第3章 構想1-地域論と社会経済構想/第4章 構想2-政治構想/第5章 自立と共同性の問題/第6章 初期の民間伝承研究から柳田民俗学へ/第7章 知的世界の核心1-日本的心性の原像を求めて/第8章 知的世界の核心2-生活文化の構造/終章 宗教と倫理






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Last updated  2019.09.07 06:39:24
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