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北 の 狼

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Feb 28, 2004
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燃えるキリン


『アンダルシアの犬』(1928年フランス、16分)
監督:ルイス・ブニュエル、脚本:ルイス・ブニュエル&サールヴァドール・ダリ

16分という短い映画ですが、かなり刺激的、衝撃的なシーンがあり、一度観たら永遠に心に残るような映像があります。シュルレアリスムの「バイブル」といっていい映画です。


【手術台の上でのミシンとこうもり傘の出会いのように美しい】
             (『マルドロールの詩』 ロートレアモン)


シュルレアリスムの基礎については、過去の日記で述べてありますが、簡単にいうと以下のようなことになります。

我々は、自我(=主観)の作用によって、または自我という場において、現実世界を認識しているわけです。その自我というのは、人それぞれによって異なる多様なものです。現実の認識が多様なものであれば、その解釈も多様にならざるをえず、したがって人と人との間に”共通了解”というものが成り立たなくなります。そして、そのことによって、社会は争いが絶えないものになります。この争いを何とかしよう、つまり考え方を一致させて共通了解をえよう、というのが思想の根本動機のひとつです。

かつて、共通了解の根拠は、宗教(神、聖書)によって基礎づけられていましたが、宗教的価値観が没落しますと、人間理性というものが、共通了解を根拠づける基礎として宗教にとってかわるようになりました。この理性を備えた人間属性を、近代的自我と称するわけです。
この近代的自我を共通了解の前提として構築された社会を「近代」と称するわけですが、近代に至っても争いが絶えることはなく、それどころか第一次・第二次世界大戦という未曾有の大惨事を近代国家は引きおこしてしまったわけです。

この反省のうえにたち、近代的自我というものから人間を解放して脱近代をはかろう、という思想的運動が20世紀(第一次世界大戦)以降盛んになってきました。こういった近代に対する反動的ムーヴメントの代表が、芸術活動におけるダダやシュルレアリスムであり、社会思想におけるマルクス主義であり、精神医学・心理学におけるフロイトの「無意識」論であったわけです。

このように、シュルレアリスムの根本モチーフは、近代的自我から人間を解放し、本来の自然な現実世界を奪い返して人間性を回復しようとするものです。
しかし、単に近代的自我を滅却させただけでは、(多様な自我が乱立する)共通了解が成り立たない原始の世界に逆戻りするだけです(ダダは、そういう世界を目指したのですが)。そこで、その”歯止め”となるものが超現実という概念です。超現実とは、近代的自我は関与しませんが、現実と連続性がある、裸のモノ(オブジェ)で構成される客観的世界のことです。物語や作品としては、メルヘンに代表されるフェーリックな世界観に至ろうとするものです。

超現実を露出させる手法として、自動記述、デペイズマン、コラージュなどがシュルレアリストたちによって考案され実用化されてきました。このような手法によって、夢幻的な世界(=超現実)を描出できることが分かったのですが、重要なことは、この世界は、主観(自我)の主導によって展開された幻想(ファンタスティック)からなるのではなく、客観が人間に訪れる瞬間を受動的に捉えたものである、ということです。この受動性が「フェーリック」という心地よさの源泉です。一言でいいますと「シレッ!としている」といいますか、暑苦しさや息苦しさが無いわけです。これが、シュルレアリスムの魅力ですね。

以上、シュルレアリスムを簡単に説明するとそういうことになります。興味のある方は、過去の日記をどうぞ。

現在では、シュルレアリスム本来の意味や根本モチーフ(目的)が殆ど忘れさられ、または歪曲されており、その手法(自動記述、デペイズマン、コラージュなど)のみが、「誰もが、芸術を簡単に創造できる」という手軽さからか、生き残っているという状況です。その結果、村上春樹ではありませんが、近代的自我としての内的葛藤(近代的物語)を表現するための手段としてこれらの手法が用いられるという、シュルレアリスム本来とは全く逆の意味や根本モチーフのもと使用される、といったことにもなりえます。


【主観(自我)の主導によって展開された幻想からなるのではなく、
客観が人間に訪れる瞬間を捉えた世界(=超現実)を新たに創造する】

シュルレアリスムが本来的に描き出そうとしていたこの世界の意味は、現在では殆ど忘れさられてしまっています。
戦後の前衛というのは、「新たな世界を創造する」ためではなく、反抗・破壊のために、つまり「既存の社会を破壊する」ための手段としてシュルレアリスム的方法が流用されてきたにすぎない、と言っても過言ではないでしょう。つまり、戦後の前衛は、思想的には退化しているといってもよいのです。しかし、技術的には進歩しましたが。
私は、戦後の前衛においては、一般的に、シュルレアリスム本来のような「品」、「思想的な深さ」、「フェーリックな気分」、「創造への展望」が希薄で、それどころか、かえって、近代的自我に呪縛されたような息苦しささえ感じてしまいます。
つまり、退廃的なのです。

戦後の前衛はマルクス主義の影響が強いのですが、マルクス主義は近代(=資本主義)に対するアンチテーゼを根本モチーフとします。ただ、近代に対する反抗・破壊という意識が強すぎるということは(マルクス主義が正にそうです)、実は逆説的に近代に呪縛されているということを意味しているのであり、このことが息苦しさの根本原因であろうと思います。
ポスト・モダン的状況にある現在では、反抗・破壊にかわって相対化というモチーフが強いですが、シュルレアリスムの本来性が忘れさられているという点で大きな差がありません。

そのように歪曲された「超現実」ではなく、シュルレアリスム本来の世界を垣間見ることができるのが『アンダルシアの犬』という作品です。ただ、古い作品ですのでモノクロですし、また実験的な作品ですのでかなり無骨ですが。また、マルクス主義の影響からか、破壊的要素や息苦しさが若干認められます。
シュルレアリスム本来の世界は、現在では『キダム』で、華やかな色彩のもと、より洗練されたカタチで味わうことができると思いますので、お勧めです。


*)画像は、『アンダルシアの犬』の脚本をかいたダリの『燃えるキリン』。





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Last updated  Feb 29, 2004 02:24:39 AM
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