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1972年、ヴェルナー・ヘルツォーク監督、クラウス・キンスキー。 ドン・ロペ・デ・アギーレという実在の人物と実話を基にした映画で、『地獄の黙示録』に大きな影響を与えたとされています。 ************** 1560年、南米の征服者ピサロが率いるスペイン軍が現地人奴隷たちとともに、黄金郷エルドラドを目指してアマゾンの奥地を進んでいく。 しかし、糧食がつき先へ進むことが困難となり、ピサロは40人の先遣隊を先へと送り出すこととした。先遣隊の副長はドン・ロペ・デ・アギーレ(クラウス・キンスキー)。 兵士の他に分隊長ウルスアの愛人イネス、15歳になるアギーレの娘フロレス、僧侶ガスパル・デ・カルヴァハル、貴族のドン・フェルナンド・デ・グズマンも一緒だった。 三隻の筏に分乗したアギーレたちはエルドラドを目指すが、飢え、病い、そして人食い人種たちの脅威にさらされながら次々と倒れていく。しかし、アギーレはあきらめない。そして、彼の言動は徐々に狂気を帯びてくる。 全員が死にただ一人の生存者となった”狂人”アギーレは、筏のうえで猿たちと戯れながらむなしく自分に語りかけるのだった。 「これほど偉大な反逆があるだろうか。やがて新世界のすべてを奪おう。神の怒りである俺は、神話の通り自分の娘と結婚して、地上にかつてなかった大帝国を打ちたてるぞ」 *************** ヘルツォーク監督と主演のキンスキー(ナスターシャ・キンスキーの父ですね)は、ともに映画界でも屈指のエゴイストで、その凄まじさは伝説的です。 とりわけキンスキーのエゴは強烈で、奇行のエピソードには事欠かず、ヘルツォーク監督より一枚も二枚も上手のようです。ちなみに、彼は、寺山修司監督の『上海異人娼館〈チャイナ・ドール〉』にも出演していますね。 この映画の撮影中もキンスキーは、乱闘シーンで重い刀をふりまわしてエキストラに重傷を負わせたり、ジャングルで延々と続く撮影に飽き飽きして帰ると言い出したり。対して、ヘルツォーク監督は銃をつきつけて、「お前が帰るというのなら、お前を殺して俺も死ぬ」などとわたり合っています。 キンスキーが”地”のままで荒れ狂い、それをヘルツォーク監督が無理やり映像に押し込め、その両者の激突から生まれたのがこの映画で、「ニュー・ジャーマン・シネマ」の金字塔的作品とも称されています。 ただ、この両者のキレぶりもさることながら、この映画の真の魅力は表現の芸術的な素晴らしさにこそあります。 まず、映像は褐色や濃厚な色彩を多用していおり、詩的かつ官能的な近代ヨーロッパ絵画を連想させるシーンが満載です。 人物はもとより、自然にしても動物にしても、画面の隅々までスキというものがまったくない構成で、役者の衣装やメイクも、エクストラにいたるまで手抜きというものをまったく感じさせませんね。 音楽はポポル・ヴーが担当しており、夢幻的なシンセサイザーの音色が全編にわたって流れます。 映画の冒頭、霧のアンデス山脈の峠に連なるスペイン兵や現地人たちの姿を遠景ショットで撮ったシーンから、ヴーの音楽とも相まって、観客は否応なく幻想的な雰囲気に引き込まれることになるでしょう。 これはもう、一大叙事詩または歌劇であって、ヴァグナーの世界の再現と言っても過言ではないのではないでしょうか。そうなると、ラストで孤立して狂気を顕わにするアギーレは、「超人」を目指しながら狂気に陥ったニーチェのメタファにも思えてきます。 作品のテーマやストーリー性はともかく、映像や音楽としては完璧といってよい出来の作品です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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