2005/04/14(木)15:00
「ホラー映画」の構造(一)
最近、どういうわけか、日本のホラー映画を立て続けに観ております。刺激が欲しくなったのかもしれません(笑)。
作品は『呪怨』、『リング(らせん)』、『ほんとうにあった怖い話』、『学校の怪談』などのシリーズです。
「ホラー(horror)」には、”恐怖”または”嫌悪”という日本語があてはめられています。
・”嫌悪”としてのホラー
人に嫌悪感をもよおさせるような映画の作製は、現在の技術からするとそう難しいことではありません。典型が血のスプラッター描写です。あと、死体や化け物をリアルに・残虐に描くとか、画面を暗くしておいて突然または背後からモンスターや殺人鬼を登場させるとか。
”嫌悪”とは、不快や驚きといった人間のエモーショナルな反応のことですし、人間の生存が脅かされる事態(死が示唆される状況、現実をコントロールできない状況)において生じる心的反応といってもよいでしょう。
・”恐怖”としてのホラー
ほんとうの”恐怖”とはどのようなものでしょうか。
私は、(人間の生存が脅かされる状況において生じる)”嫌悪”との対比でいえば、「自らの生存本能(欲望)に基づいて他人に残虐行為をなす者をみる時に湧き上がってくる”恐怖”感」と考えています。
そして、その残虐行為をなす者が理性的であればあるほど、”恐怖”の度合いも増してゆくことが多いです。この”恐怖”の典型が「ホロコースト」におけるナチの行為です(逆に、ユダヤ人からすると、民族浄化はこの上もない”嫌悪”の対象となるわけです)。理性的であるということは、それだけリアルであるわけで、現実にいつ自分がそれと同様の残虐行為をなすか分からない、という恐れが生じるわけで、これはほんとうに怖いですね。
ほんとうの”恐怖”を感じさせる映画について、小中千昭氏(ホラー、SF、ファンタジー系の脚本家)が面白い分析(「小中理論」)を披露してくれています。上で示した私の考えとは多少の違いがありますが。
以下は、小中氏の『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』(岩波アクティブ新書)より。
ほんとうに怖い映画(ファンダメンタル・ホラー映画)が備えている要件とは、「小中理論」によれば以下のようなものになります。
1)脚本構造
・恐怖とは段取りである
観客が恐怖を感じるまでには、段階的な情報を提示して
いく必要がある。
・主人公に感情移入をさせる必要はない
怖い映画では、観客は登場人物に対して感情移入してい
るのではなく、自分とは異なる人間の、自分のそれとは
異なる人生を擬似体験している。
・因縁話は少しも怖くない
オチ、すなわち何故幽霊が現れ脅かしたのか、という理
由が明らかになるや、その幽霊は非常に「頭の悪い」存
在になってしまう。
恐怖とは不条理に宿るものなのだ!
・文学は忌まわしい
ストーリーの流れを分断したり、展開を無機的に消化し
たりして、いま観ている作品は普通のドラマではない、
というサインを強制的に送る。
・情報の統一は恐ろしい
一人の人物だけの体験であるよりも、「幽霊を見てしま
う」といった体験が伝染病のように多くの人に伝わって
いくことが、恐怖を構造化してゆく。
・登場人物を物語内で殺さない
実話ホラーに限った話であるが、主人公(報告者、語り
部)を物語中で殺してはならない。
この後、「2) 脚本描写」の項が続くのですが、今日は時間が遅いので明日にでも。