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広尾の沖縄料理店で、半年ぶりに高校時代の親友たちに会った。
もう20年来の(ゲゲッ、そんなになるのか)付きあいの彼女たち。 このところの不調を打ち明けると、あっさりこう言ってくれた。 「あなたがのように元気で精力のある人がこわれるなんて、 それはもう、相当なことだって。がんばらなくていいんだってば!」 どんなことがあっても、かわらず味方でいてくれる。 昔の友人って、なんてありがたい存在だろう。 つらいとき、昔の自分を知っている人に会いたくなるのはなぜだろう。 とても安心できるのはなぜだろう。 荒唐無稽な考察をしてみた。 「資産」という言葉。 あらゆる資産は、過去に属するものなんじゃないか。 努力だったり、なにかの成功だったり、そういう積みかさねが形として残っているのだから、 いま、資産はつまり、「過去」の結晶。 たとえ、親からポンと受け継がれたものだとしても、親や祖父の時代の なにかが形になっているものだ。 不動産や貯金に限らない。家族も友人も、なにかの権利も福祉も。 いまの自分はすべて、過去でできている、といってもいい。 古い友人たちとの心地良い関係は、過去にそれをつくり、そして積み重ねてきたから存在する。 (って原因と結果の法則、みたいだなぁ) ダメだなあと思ったら、過去に会いに行くというのは、理にかなってる。うん。 くぅー、沖縄の古酒は心にしみるぜ。 【元気のツボ】ダメなときは、「昔」に会いに行こう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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