315539 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2006.06.22
XML
カテゴリ:
50歳の時に奄美に移り住み、東洋のゴーギャンといわれた孤高の画家、
田中一村を描いた映画『アダン』を観た。

燃えさかる魂の炎に殉じる一村の姿を、
榎木孝明の鬼気迫る演技が伝える。
その姿が壮絶で、映画が終わってしばらく立ち上がれなかった。

「俺は、だれだ?」

画壇から受け容れられず、いつか見返してやろうと、
新たな作風を確立するために、それまで日本画で描かれてこなかった
色鮮やかな南国の動植物に素材を求めて、50歳で奄美に旅出つ。

紬工場で働いて小銭を貯めては、掘っ立て小屋で制作に打ち込む。
自然に分け入り、渓流にジャブジャブと入り、スケッチをする。
描いて、描いて、描いて……

誰に見せることも売ることもなく、ひたすら描き続けて、
修行僧のような10数年が過ぎる。
死期が近づき、南国の自然の中で、再び問う。

「俺は、だれだ?」

推測だけど、二つの自問の性質は、全く違うように思う。
前者は、自分らしい納得できる作品を描きたいという焦燥感。
後者の奄美で呻く「俺はだれだ?」は、大自然の中にどっぷりと身をおき
命の炎を燃やしている動物や植物と存分に呼応し溶け合いながら
発せられたもの。
もう「自分の画風」も「画壇」もどうでもいい。
自我も自己も消え、ただ、燃えるような何かに突き動かされて描く……。
なんのために? そして、「俺は、だれだ?」

「自分」が意識から消え、存在が純粋になる。
無我の境地、だろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.06.23 02:21:36
コメント(0) | コメントを書く
[心] カテゴリの最新記事


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Profile

沢木遥

沢木遥

Favorite Blog

とうとう7月! New! にわとりのあたまさん

凌ちゃんマン のの0206さん
●尾崎友俐● ◇尾崎'友俐◇さん
島唄の楽園万華鏡@… 島パラさん
なかむの起業日記 nakamu-hiromiさん

Comments

 背番号のないエース0829@ Re:岡田有希子と86年のわたし(09/11) 「十月の人魚」に、上記の内容について記…
 ニューシングル@ エキサイト エキサイトブログにも結構細かいアクセス…
 沢木遥@ Re[1]:恋愛における「人としての道理」とは(05/12) StephaniEさん >やっかいなのは、結婚…
 StephaniE@ Re:恋愛における「人としての道理」とは(05/12) 所詮といってしまってはなんですが、恋愛…
 ぱんたか@ Re:復活(08/14)  お元気でしたか、  偶々、『たまたま…

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.