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鏡の国の落としあな

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May 18, 2009
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カテゴリ:日本の古典文学

 

知識ばかりみせびらかして、全く嫌な女。

あんな女の行く末はロクなんもんではない。

 

・・・・・と、お仲間、紫式部にこきおろされた清少納言。

彼女のだんな様は、橘則光。

その元のだんなについて、枕草子第八十段に、納言は以下のように記しています。

 

あのこと(彼女が実家に宿下がり中、彼女の居所を藤原斉信が夫、則光に聞き出し困った彼はわかめをむしゃむしゃ食べて誤魔化した。再度斉信が則光に問いただすので、則光は納言に手紙を書く、その返答にわかめの切れ端を3cmほど包んで返した、このこと)があった後、則光が私のところへ来て、

「あのときは、斉信様にあなたの居場所を一晩中、聞き出されて困ったんだよ。しようがないからテキトーなところをね、ぐるぐる連れまわしたけど。

でもなんで君は返事もよこさず、その返事が来るといったら、くだらないわかめのキレッパシなんかを、よこしてくるんだ?

あんなもん、送るやつがいるか?

なにかの間違いなのかね?」

と言ってきたの。

ぜんぜん、意味分かってないんだから。

本当に間抜けだわ。

もうあったまにきたので、何も言わないですずりにあった紙の端に、

 

「かづきする海女のすみかをそことだにゆめ言ふなとやめをくはせけむ」

海女の家をそこ(=底)だとは絶対にいわないで、と言おうと思って

わかめを食べさせた(=布食はせ=目配せ)のです

 

って書いて差し出したら、

「また歌を詠んだな 。そんなもの、絶対読まないからね」

と言って、その紙を扇で扇ぎ返して、逃げて行っちゃった。

 

・・・・・・・のだそうです。

則光は普段から、

自分のことを好いてくれてる人は、歌なんか絶対に書いてよこすな、そんなやつはみんな敵だと思うぞ。もう別れの時くらいにこそ、詠めばいいじゃないか

と言っていたそう。

納言はこのあと、則光から「気にいらないことあるのかい? でも一度契った仲を忘れないで、あ、則光だ、くらいには気をかけてくださいよ」という手紙を受け取っています。

それに対する彼女の返答、

    崩れよる妹背の山のなかなれば さらに吉野の川とだに見じ

妹背山(夫婦仲)も崩れ始めてしまったので、

二つの山の間にながれる吉野川も流れなくなってしまいましたよ

 

と書いて、則光に返事を送ったら本当にだんな様から、それっきり何も来なくなってしまいました。

その後、則光は遠江介になって赴任、二人の仲もこれっきり・・・・・・・失恋

ということです。

なまじ宮仕えと、生来の才気渙発さが自分の夫婦仲の邪魔をしてしまってるように思えます。

才女はこの時代、あまりいい恋愛に恵まれたなかったような気がします。例えば、蜻蛉日記を書いた、藤原道綱の母。

彼女の場合も、才能とそれに付随する感情がかえって夫婦仲を円満にする妨げになっていたような感じがあります。

納言は中宮定子が彰子に栄光の座を奪われたあと自身も宮廷を去り、その後は古事談に落ちぶれた様子が書かれたり、また泥棒に男と間違えられそうになったので、すそをまくりあげて女であることを証明した、とかいう見事にお気の毒な話しか残っていません。

清少納言に同じようにこきおろされた和泉式部、彼女も後半人生は落ちぶれてしまい、なんとか全うな『女の人生』を送ったのは、あまり名もでない、そして式部からも全く攻撃されてない、平凡な赤染衛門だったのではないでしょうか?

この時代、女性があまり個性的だと、幸せになれなかったようですね。

特に取り柄もなく、おとなしくて、貞淑で・・・・・・・っていう、アノタイプ、こういう女性が俗にいうこの時代の女の幸せを送ってたのでは?って思います。

さて、今の時代はどうかなうっしっし?   






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Last updated  May 18, 2009 05:50:18 PM



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