カテゴリ:嬉しかったこと
今週は色々と面白い出会いが会った。
特に火曜日。 ブログを通して交流し、かねてからお会いしたいと思っていた方々とご飯を食べた。 油っぽい系、チーズ系が苦手なお姉様がいたので、和食になった。 場所は神楽坂。 しかも和食。何だかその時点で『うっふーん』な気分だった。←アホ臭い感性 しかし久し振りに神楽坂に行って、ビックリ! 若い人が多い。人が多い。 完全に違った街になっていた。 これも商店街の人たちの地域活性化の努力の賜物か。 品川でも目黒でもそうだったが、近年地元の商店街の地域を守り立てようという意識、活動が活発だ。 一時寂れてしまった都心の地域のお祭りも今はどこも熱心だ。 何だか嬉しい。 やはり自分の住んでいる地域を大切に、その土地の歴史、行事を大切にする姿勢って『文化』があって素敵だと思う。 組織は効率や合理化が大切な柱に成ると思うが、 人間が暮らしていく空間にはもっと情緒的に豊かのもの、効率とは対極の物差しを持っていないとギスギスしてくる。 それが文化だと思う。 最近あるニュースで、即結果がでないと我慢できないと言うコメントを聞いたが、人を育てる、地域と関わるってそんな単色な物差しでやるものではないだろうと憮然としてしまった。 やはり時が本物か否かをあぶりだしていくだろう。 そして時があぶりだした結果のお姉様達との会食。 一言でいうと『本物』 二人とも俗に言う波乱万丈人生を送っている人だ。 特に1人の人などNHKの朝の連続ドラマになっても可笑しくない人。 それに今時珍しいほど、腰が低い。異様に低い。 さらに異様にまつ毛が長くて、眼がキレイ。←脈略が無くすみません。 でも、一見の雰囲気が普通の人。 もちろん話していくと、内容の深さ、胆の据わり方、存在感など、「あらあら普通に可もなく不可もなく生きてきたわけではないのね。」とすぐに分かるけれど。 もう1人の方も波乱万丈系なのに、女性としてとても瑞々しい。 本人は枯れ切っているとおっしゃっていたが、とんでもない。 彼女が枯れ切っているなら、私なんか2000年前のミイラよりもカサカサだ。 彼女は介護用品の杖をファンションアイテムとして、外出の時の心華やぐお供としての素敵なステッキをwebで販売している。 やはり美的なお仕事をしていると感性が瑞々しく保たれ、女性としての魅力になってくるのか。 なんだか自分に足りないものを見たように思う。 私が憧れる素敵な人生の達人とは『普通な人』 普通と言うと、世間一般に従って可もなく不可もなく無難に生きてきた人ととられそうだが全く違う。その対極だ。 その時、その時に現れた困難な事柄や変化に対して逃げず、言い訳せず、バックレず、正面から受け止め、乗り越えていった人。 そして着実に1歩1歩、前進してきた人。 でもそれは日常に密着したこと、等身大のことだと理解しているので、淡々としている。 そして何より本来持っている自分の本質とどんどん統合していっている人 つまり分かりやすく言うと自分の体験をことさら大きく見せて『カリスマ』的演出したり、お取り巻きを侍らしたり、自己演出のない人。 しかし邪念無く自分のやりたいことに焦点を当てているので、しっかりした存在感のある、いぶし銀のような人。 こんな『普通の人』に私はなりたい。 そしてお二人はそんな人だった。 なんだか嬉しいのと存在感の凄さ(圧倒された訳ではない)にすっごく酔いたかった。 こんな時に言葉はあまり大切ではないと思ってしまう。 その人達の醸し出す雰囲気に浸っているだけで充分。 そう、ほろ酔い気分ってやつと一緒。 でも雰囲気だけを楽しんだだけでもなかった。 私はとてもセンサーが鋭いところがある。 その人がそう信じて話していても、真実ではない時に頭のセンサーが鳴る。 理屈ではなく、センサーが鳴る。 未体験の分野でも鳴る。 その時は注意深く話を聞いていると、辻褄が合わないところが出てきて、それを後で検証するとセンサーが正しかったことが分かる。 しかし万能ではない。 過剰反応のときもある。 以前は8勝2敗だったが、近年は9勝1敗と勝率が上がってきている。 でもパーフェクトではない。 それを充分理解している。 だから時々判断に迷う時があったり、またはっきりした検証ができず、小骨が刺さったままの状態の時もある。 今回の出会いですっかり喉の小骨をとってもらった。 あ~~~スッキリした!!! いつも喉の小骨をとっていただくのは素敵なお姉様方だ。 以前はnoririnさんだったし。 私も相手にそんな思いを抱いてもらえる人間でいたいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月10日 06時56分46秒
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