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街のあちこちで、立葵をよく見かけるようになりました。 真っ直ぐに空に向かって伸びたその姿は、気持ちが良いですね。 見た目が涼やかだから、夏には向日葵よりも立葵に視線が行ってしまいます。 開花時期は、 5/末 ~ 8/ 末・原産は地中海沿岸地方。日本へは古くに薬用として渡来しました。 唐の代以前は、蜀葵(しょくき)の名前で一番の名花とされていました。 日本では、平安時代は「唐葵」と呼ばれていましが江戸時代に今の「立葵」になりました。 タチアオイ(立葵)の葉は、葉茎に互生して付きます。タチアオイ(立葵)は鑑賞用として植えられ、根は蜀葵根(ショクキコン)という漢方薬の原料となり、花は ハイビスカス と同様、お茶として飲まれたり天然の着色料となります。 「葵」とは、葉がどんどん太陽の方に向かうところから「あうひ」(仰日)と言われました。 ただし、京都で毎年5月15日に行われる「葵祭り(あおいまつり)」の「葵」は、この立葵ではなくて、江戸徳川家の紋所として知られる「双葉葵(ふたばあおい)」という名の草です。 別名 は 「葵」(あおい)、 「花葵」(はなあおい)、「梅雨葵」(つゆあおい)、 「唐葵」(からあおい)。 英名「ホリホック」 「ホリーホック」”ホリーホック聖地”から来ています。(12世紀頃の十字軍がら シリアからこの花を持ち帰ったことから) ツユアオイ(梅雨葵)ともいうのは、入梅のころに下から咲き始め、てっぺんまで咲くと梅雨明けを迎えるからといいます。 江戸時代の俳人、夏目成美(なつめせいび)が詠んだ句があります。 「 咲き登る 梅雨の晴れ間の 葵かな 」 歴史的仮名遣で葵は「あふひ」と書くので、「逢ふ日」と掛詞になり、この点からも和歌には好まれました。 源氏物語「藤袴」に見える歌です。 「心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ」 蛍兵部卿宮に求愛された玉鬘が、「自分の心から光の方を向く葵でさえ、朝に置く霜を自身で消すことなどできましょうか」と、思うに任せぬ我が身を訴えた哀れ深い歌です。 因みに、八万年前の地層から発掘されたネアンデルタール人の骨を調べたところ、遺体の胸に立葵と薊の花束が飾られていたことが判明しました。 何と永く人類に愛されてきた花でしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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