【復刻】サイゴンで死にかけた話 2004.09.07
サイゴンで死にかけた話 その1 ある晩、私は借りたバイクに乗って繁華街に出かけた。 バーで飲んでいる内に夜間外出禁止令の時間、夜中の12時がせまってきた。 バイクで宿舎近くにさしかかった。 そこにはロータリーがあって、 さらにはその奥には米軍のきちがあった。 ロータリーを回ろうとしたが、なにしろ酔っている。ハンドル操作を誤って、ロータリーの縁に当たってしまった。 ーーーー ロータリーというのは丸い円形の形をした交差点。 日本にも昔、米軍統治時代には、もうけられていた時代もある。 直進してきて円形の交差点に合流して回り 自分の道に出てゆく。 そういうシステムなのだが、 もともとは西洋で馬車が交差点を通過するために発明された形式。 馬車は構造上、直角には回れないから ゆっくりとロータリーに侵入して 他の車と歩調を合わせ 円形にゆっくりと弧を描いて回ってから 自分の道へ脱出してゆくようになっている。 ーーーー 私の場合、まずロータリーに ゆっくり進入しなければいけないのに 酔っているものだから スロー・ダウンしなければいけないロータリーにスピードを落とさずに侵入したばかりに ロータリーの縁石にぶつかり、そのまま空中を飛んで(かなりスピードも出していた) ロータリーの向こうに飛び込んでしまった。 その飛び込んだ先が大変な所だった。 そこは、米軍のバスやトラックなどの車両の基地で、廻りには鉄条網が張り巡らされていて、 ロータリーに面した箇所には通常、監視塔があり その中には気銃を構えた監視兵がいた。 私はその鉄条網に飛び込んでしまったのだ。 幸運にもその時に限って、監視兵がいなかった。 ーーーー その頃、バイクに爆弾を積んだ女性が米軍基地に突入する、「ホンダ・ガール」と呼ばれた、今で言う自爆テロがあった。 その時の状況なら、真夜中の事でもあり 私が「ホンダ・ガール」と見なされて 監視塔の機銃で射殺されても仕方がない所だった。 だが、幸い幸運にも、菅四平は不在だった。 戒厳令前の時間だったので、監視体制ではなかったのかもしれない。 ーーーー 私はその鉄条網に飛び込んでしまったのだが バイクのタイヤが空転して、ガソリンタンクからガソリンがこぼれている。 私の身体は鉄条網に切り裂かれて血まみれである。 とにかく、バイクを引き起こして、全身血まみれで宿舎に戻った。 ーーーー 翌朝サイゴン病院に行って日本人医師に治療を頼んだ。 しかし、元獣医のこの医者は、その時、機嫌が悪かったようで 「そんなもの傷のうちに入らない」といって 傷口を縫合さえしてくれなかった。 だから私の身体には、頭から肩まで、いまでも鉄条網の傷跡が一杯残っている。 一番ハッキリわかるのは、左腕の大きな深い傷口だけれど。 ~~~~~~~~~ 「死に損なった」話。 その2 ある晩、私はある仲のよかった日本人エンジニアと一緒に ヴィエトナムの有名歌手が出演するクラブへ歌を聴きに行こうとしていた。 そのクラブは、サイゴンの銀座通り、とでもいうべき『カティナ通り』にあった。 サイゴン河の川岸でタクシーを降りた私たちは、カティナ通りをクラブの方向へ歩き出した。 昼間の暑さも収まり、生ぬるい空気である。 もう少しでクラブという手前の所まで来た時、 私達の目の前を、小麦色の脚をしたミニスカートの美少女が横切った。 当時はミニスカート全盛の時代だったし、暑い気候のサイゴンではなおさらだった。 特に、バーガールは、そのほとんどがミニスカート。 そのミニスカートの魅力的なお嬢さんは、私たちの目の前をしなやかに歩むと、あるバーの扉を開けてそのバーに入って行った。 彼女はバーガールらしい。 それなら、彼女に、SAIGON TEA さえおごれば, お相手をしてくれるはずだ。 私達はすぐにそのバーに飛び込んだ。 サイゴンのバーの店内は暗い。 通常、ジュークボックスから、アメリカのヒットソングなどが流れている。 彼女にサイゴンティーをおごって、私たちは缶ビールを飲みながら、会話を交わしていると、 突然、大音響と共に 地の底から突き上げるような、跳ね上げるような振動が走った。 私が握っている缶ビールが波打つた、そんなかんかくてきなきおくがあるほどの、ものすごい衝撃だった。 その瞬間には、すぐには何が起こったのか? わからなかったが、そのうちにすぐ、外が騒がしくなった。 バーから出てみると 我々が入る予定だったあのクラブから煙が出ている。 近づいてみると そのクラブの建物は、中身を抜いたマッチ箱のようにほぼ、骨組みだけになっていた。 骨組みに絡んだ壁紙の様なものがヒラヒラと、たなびいている。 窓ガラスもすべて破れ、壁も歪んでいる。 視線を転じてみると カティナ通りの道路には、歩道にも車道にも 人間の身体やバラバラの手足が散乱している。 プラスティック時限爆弾が爆発したらしい。 そのうちに、大音響のサイレンを響かせながら、米軍のMP憲兵のジープが何台も、現場に飛び込んできて、急停止した。 昔、アフリカの砂漠を舞台に、「ラット・パトロール」という第二次世界大戦において 米軍兵士が小回りの利くこのジープでドイツ軍を攪乱するという テレビ活劇番組があった。 この米国MP(陸軍憲兵)たちのジープは、そのテレビ映画に登場するジープと同形のものにみえた。 後部座席に回転する機関砲座を備えたジープである。 このジープにMPが、人間、または元人間を、片っ端から放り込んで、近くのフランスパスツール病院向けて突っ走って消えて行った。 あまりの衝撃に、私たちはぼんやりして、しばらく野次馬の群れに入っていたのだが。 突然、ヴィエトナム人警官が数人現れた。 彼らは、なにやら大声でわめくと 空に向けて一斉に、拳銃を発射しはじめた。 私はすぐわかった。 共産ゲリラはまず時限爆弾をしかけ爆発させる。 次に、爆発した現場を見ようと集まる野次馬を目標に、二次攻撃の爆弾を爆発させ、さらに被害を拡大させる、と聞いていたからだ。 警官舘はそれを防ごうと、群衆にここをすぐに立ち去るように、拳銃で激しく威嚇しているのだ。 警官たちの近くにいた人間が殴られたり、つかまえられたりしている。 テロの容疑者の可能性ありと逮捕されているのかもしれない。 ここでつかまっては大変なことになる。 私たちふたりは、必死で群衆の中を走って逃げた。 ただただ、ここで捕まるわけには行かない。 どの通りだったかは覚えていないが、ようやく空いたタクシーをつかまえる事ができて とにかくそこから、全速力で脱出してくれるよう頼んだ。 漸く宿舎までたどり着いた。 途中の事は記憶にない。 宿舎のホールには、もう、だれもいない。 自室に入っているのか、 もう寝入っているか、だろう。 ホールで二人だけになって、 とりあえずビールを飲みながら、 さすがに、ふたりは、しばし無言だった。 このことは、宿舎の誰にも言わなかった。 いや、言えなかった。 危険な米兵バーでは無かったものの こんな危険なテロ事件の現場にいたのだ。 死んでいた可能性が大きい。 あの時、もしあのバーガールに惹かれて(笑) あのバーに立ち寄っていなければ、 ストレートにクラブに入って 歌手の歌を聞いていたならば、 私達は、まちがいなく、あのクラブの中で 時限爆弾の爆発の中にいた訳だ。 多分、プラスティック爆弾に 吹き飛ばされ即死して あのジープに放り込まれて パスツール病院の死体安置室 だったかも。 考える事さえいやである。 人間の運命とはわからないものだ、 紙一重だ。 その時は、しみじみ、そう思った。
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最終更新日
2025.01.14 20:52:38
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