ジャズ喫茶の思い出(その10)
2023/11/19にアップした ジャズ喫茶の思い出(その9) の続きです。西宮市にかってあったジャズ喫茶2軒に関する備忘録的内容です。Google先生にいくつかのキーワードで尋ねた結果ヒットしたネット情報・記事がネタ元です。まずは阪神淡路大震災後に閉店してしまった「OutPut(アウトプット)」についてネタ元は↓思い出の建物 2023.08.30 事務長山梨県甲斐市にある「竜王ペインクリニック」の事務長さんのブログのようです。院長さんの経歴は>経歴>神戸大学理学部 卒業>山梨医科大学 医学部 卒業>山梨大学附属病院 麻酔科との記載があるので、西宮市に近い神戸大学卒業生の院長が書いた文章かと最初は思ったのですが、事務長とのこと。ひょっとすると、院長と事務長は同一人物なのかもしれませんが・・・。上記記事から「OutPut」との関連が強い部分のみ以下に引用させてもらいます。------------------- 引用開始 ---------------------皆様は、いかがお過ごしでしょうか?曾祖父の家は、曾祖父の孫によってJAZZ喫茶に一部なりました。そのお店を検索したら当時のお客様のSNSから出てくる、出てくる??その名前、アウトプットです。コンクリートのうちっぱなしで入口にJAZZと型抜きされその当時珍しいハロゲンランプを使用していました。経営していたお兄ちゃんは、「よく、盗まれるねん」と言っていたのを覚えています。いかにもJAZZが好きそうなスリムなお兄ちゃんとそのお嫁さんとで経営していました。(中略)その後、おじちゃんたちは、曾祖父の家を売り、西宮の山の方へ引越しました。目をつぶると思い出す建物ありますか?------------------- 引用終了 ---------------------上記記事には阪神淡路大震災に関しては何も書いてありません。私の勝手な妄想では「書きたくなかった」からでないか、のように感じます。震災に関して何か書くことは当時の強いストレスを思い出させるトリガーになりかねないと私自身は思っています。※全くの余談ですが、左巻きブロガーの中には安倍首相(当時)や自民党政権を貶めたい一心で、九州南部で発生した地震について「天罰でしょうか?」というコメントを書いた「人間の屑」がいます。その発言を嬉々として容認する左巻き・情弱・妄想気味ブロガーもいます。5~6年前に◯◯さんブログで実際に発生した唾棄すべき出来事です。私は地震や台風や洪水などの自然災害を政権批判のツールに使用するクソ野郎やクソ女を決して許しません。こういうクソ人間どもは自然災害に被災しても自治体も自衛隊も国も放置しとけよ、とさえ思いますな(コレコレ私の記憶では曽祖父さんの家は豪邸といえるほどの広さ、造りではなかったと思いますが、あのあたりは当時も今も相当地価が高いとこです。西宮北口駅から徒歩5分くらいで、同駅からは大阪にも神戸にもアクセス至便です。阪急今津線の軌道に面した土地ですが、駅に近いので電車の速度は遅く、電車の騒音がそれほど煩い場所ではありません。西宮市内の住宅地としてはトップランクの地価だと思います。上記引用文で省略した部分には「リビングには小磯良平の絵が飾られていた」という主旨の文章があります。多分曽祖父さんは結構な資産家だったのでしょう。てなことで、阪神淡路大震災で木造二階建ての家が相当大きな被害を受けたので、震災後多少落ちついてきた時点で土地を売却され、西宮の山手の高級住宅地に転居されたんでしょうな。私の勝手な想像では(コレコレ>いかにもJAZZが好きそうなスリムなお兄ちゃんとそのお嫁さんとで経営していました。ここは私の記憶と一致しますな。加えていえば、マスターは背があまり高くなく、ちょっと長髪でした。次は2012年9月3日に残念ながら閉店した「Corner Pocket」(開店時の店名はDuo)についてです。ネタ元は↓「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話 連載第75回 「Corner Pocket」のマスター、有り難う!この記事の中から興味深いとこをいくつか以下に引用させてもらいます。>去る2007年7月に、西宮北口にあるジャズ喫茶「Corner Pocket」のマスターであられた鈴木喜一氏が逝去されました。また50代の若さでおまけに急性心筋梗塞との突然の病魔であったため、生前に親しくして頂いていたミュージシャンや我々ファン達の驚きと悲しみは筆舌に尽くし難いものがありました。マスターが若くして亡くなり後は奥様が閉店まで店を続けてこられたことは知ってましたが、「急性心筋梗塞」で亡くなられたことは初めて知りますた。>「Corner Pocket」は昭和50年(1975年)2月に、当初は「Duo」との店名で開店されました。同じ西宮北口には「Duo」から歩いてほんの2~3分の阪急電車の線路沿いの場所に、既にその約3年前から「Out Put」との名前のジャズ喫茶がオープンしていました。開店時の店名である「Duo」は多分、PianistのKenny DrewとBassistのNiels-Henning Orsted Pedersen(デンマーク人)の二人のDuoアルバム「Duo」(SteepleChase SCS-1002) から付けられたのではないかと推察していました。マスターにこの件を尋ねたことはありません。以下の画像では開店当初のスピーカーはJBL ParagonではなくJBL 4320だったんですねぇ。Duo時代にも何度か店を訪れているはずですが、JBL 4320の記憶は全くありません。後のJBL Paragonのイメージが強いので、記憶から消失したんでせう。>開店当時の「Duo」は、まだ20歳代の若きマスターと奥様(現在の“かーちゃん”)およびマスターの妹さんの3人で店を切り盛りしておられました。僕にとって特に印象に残っている事は、開店当時の奥様および妹さんが共にストレートのロングヘアとスリムジーンズが似合った美人であり(特に“かーちゃん”の事を、僕はずっと栗田ひろみに似ていると思っていたのですが、今では栗田ひろみと言っても誰にもわかってもらえません)、その事が「Duo」に行く楽しみの1つだったという事です。私が「Corner Pocket」について書いた過去記事は西宮市のJazz喫茶Corner Pocket(2005/07/20)西宮市のJazzSpot Corner Pocket(2005/11/03)の二つです。2005/07/20の記事では>私が通っていた頃はマスターの奥さんか妹さんかよく知らないが長い髪のスレンダーで小柄な女性がカウンター内にいることが多かった。結構、かわいい女性だった。私が通っていたのは実はその女性目当てだったかもしれない(笑)。話をしたことはないけれど(涙)。と書いています(苦笑引用した記事では「奥様(現在の“かーちゃん”)およびマスターの妹さん」が店を手伝っていたとありますな。また「開店当時の奥様および妹さんが共にストレートのロングヘアとスリムジーンズが似合った美人であり・・・」とも書いてある。そう言われてみると、奥さんと別にもっと若い幼い感じの妹さんが店にいることもあったような気がします。それほど頻繁に店に通っていたわけではないので、「あれ、奥さん?若くなった? なんか雰囲気がいつもと違うけどな~~。バイトの娘というには奥さん?と雰囲気が似すぎじゃね~~」と感じたことがあったような気がしてきましたよ(笑>僕はずっと栗田ひろみに似ていると思っていたのですが言われてみれば、奥さんは栗田ひろみ風でしたな。小柄で小顔でストレート・ロングヘアーの美人さんだから、そういう女性はみんな栗田ひろみ似なのかもしれませんけど(苦笑>当時のジャズ喫茶はほとんどのお店で会話は禁止であり、「Duo」でも御多分に漏れず話声がうるさい場合には注意を受けるとの習わしでした。僕も1度不用意にも店内でおしゃべりをして妹さんから注意を受けた事があるのですが、そのような本来は恥じるべき出来事ですらも何故か甘酸っぱい思い出として長年記憶に残っています。私が店内でのおしゃべりがうるさいと注意を受けたのはマスターからですた。残念です(笑)。これに関しては上の2つの記事では書いていませんが、「ジャズ喫茶の思い出」シリーズのどこかで書いた記憶があります。高校時代のクラスメートのK君T君とこの店の近所で偶然会ったのか、一人で店に行ったらK君が先客でいたのか忘れましたが、店で結構大きい声で、というかJBL Paragonの音がデカいので大きな声でないとコミュニケーションがとれないのです(苦笑)。マスターに「お客さん、ちょっとうるさいですよ!」と穏やかに注意されますた。学生時代なのか就職してからなのか記憶がありません。K君T君は高校時代美術部だったので、高校時代の私の元カノ(彼女も美術部員)の近況を彼から聞いていたのかもしれません。K君T君が美術系大学に進学してたかどうか全く記憶はありません。絵描きで食っていくのは至難の業なので多分文系の大学に進学したんだと思います。 ※先日の高校時代同級生との飲み会でK君の話題を出したら、そんな男子は知らん!、と返されますた。よく考えたらK君ではなくT君ですた。ということで修正しますた。(2023/11/26 19:40)栗田ひろみさん↓"LAST NIGHT AT CORNER POCKET PV"