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『無我』は、仏教用語ではあるが 厳密には、「我を空しゅうして、何も考えない」という事とは、少し違う 本来の意味は、『神への全託』である 『貴方の小さな自我を捨てて、神に全託せよ!』という意味に近い ある本には 「総てを知って、バカに成れ!」という言葉も有った これは 「せっかく総てを知ったのに、それらを総て捨ててしまえ!」という意味では無い 『貴方は、総てを知ったであろうが、それについての裁定は、神に任せよ!』 という意味である 『ジャッジメントは、神に任せよ!』 『善因善果・悪因悪果の法を実行するのは、仏陀である!』という意味でもある これは、「貴方は、何もしなくて良い!」という意味では無い なぜなら インドには、『する者は、される者である』という諺が有る これは、因果の理法を言っているが それには、もう一つの意味もある 『神に全託する者は、神に全託される者でもある!』という事だ 『神に、総てを任せよ! そうすれば、神は貴方に、総てを任せる!!』 「この世に住んでいる貴方の、小さな自我の考える事など、たかが知れている それよりは、総てを神に任せてみないか?」 これは、教師に手本を委ねる事だ 先生は、生徒である貴方よりも、もっと上手に出来る そのためには、神への信頼が無ければ、出来ない事だ 例えば、習字だね? 貴方は、筆を手に持っている しかし 教師は、貴方の手を持って動かす 書かれた書文字は、教師の動きだ これと同じ事が、総て全般に行われる 貴方は総てを知りなさい、しかし、判定は神に任せなさい 貴方が、総てを行おうとはするな そのような事をすれば、貴方の心が、深い傷を負う 失意か、あるいは、増上慢だ このような失敗は 貴方が、真理を知らないからだ 貴方が真理であれば、貴方は傷つかない しかし、貴方は人間であろう 人間ならば、どうしても、感知能力に限界が有る この3次元世界に住んでいる貴方では、総てを知り得ない しかし 4次元以上の世界に住んでいる神ならば、総てを知り得る立場に有る 貴方は、総てを学びなさい しかし 裁定は神が行う 貴方は、試験問題を解き、解答用紙に書き込みなさい しかし 採点は、神が行う これが、知識の探求学習と、裁定との違いだ 知識や智慧の探求学習は、貴方の役目 裁定は、神の役目 貴方は、法を超えない事だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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