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万人のための美術史 森耕治

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2021.06.20
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カテゴリ:美術

「コリウールのボート」アンドレ・ドラン 1905年 クンストパラス美術館 

これはマティス、ヴラマンクと並ぶフォーヴィスムの巨匠アンドレ・ドランの代表作「コリウールのボート」です。2重になった、ブルーのモザイクのような波が目の中に飛び込んできます。コリウールは、スペイン国境に近い地中海に面した、当時人口2千人ほどの漁港で、アンチョビ漁で知られていました。
 南仏の海辺は、今ではどこも物価の高いリゾート地になっていますが、当時は、むしろ物価が安くて、貧乏画家たちにとっては住みやすい土地でした。1904年に、友人のシニャックの勧めで南仏のサン・トロペに滞在して、南仏の良さを知ったマティスは、翌年も、コリウールに5月から9月初めまで滞在して、制作に励みました。その時に制作したのが、代表作の一つ「コリウールの開いた窓」です。

 そして、マティスに誘われて1905年7月5日にコリウールにやって来たのが、友人の画家ドランでした。その時、マティスはすでに36歳、ドランは若干25歳でした。

ドランは、友人のヴラマンクと同様、1901年に開催されたヴァン・ゴッホ展に行って感動して、原色の使用と激しい筆のタッチには、すでに「免疫」があったと思われます。そして、マティスと共にコリウールで過ごした、たった一月半の間に、地中海の強い日差しと、マティスの新しい画風の両方から影響を受けて、すでに立派なフォーヴィスムの作家として変貌を遂げていました。南仏から戻った翌月の10月には、マティスやヴラマンク達と第3回サロン・ドートンヌに出展して、新しい絵画の潮流「フォーヴィスム」が、世の中に知られることになったのです。

ドランがコリウールに来たのは、たった一度だけですが、マティスは1906年と1907年にも舞い戻っています。コリウールが、「フォーヴィスム誕生の地」と見做されるのは、そういう経緯があるからです。

 「画面概説」

画面は、コリウールの港を、ほぼ真上から見下ろしたように、即興的に描かれています。まず、この視線の位置が、極めてオリジナルです。そして海は、赤色でアクセントがつけられたブルーのモザイクが、2重の渦を巻いているかのように描かれています。でも、そこには不思議な透明感も感じられます。


 そのブルーの渦の中から、オレンジ色のボートとマストが浮かび上がっています。もし、このブルーの箇所だけ切り取った上、ボートが描かれていなければ、誰もこれが波間の光景だとは分からないでしょう。

砂浜は、イエロー・オーカーとライト・イエローの乱暴なタッチで塗りつぶされて、そこに、ブルーやオレンジの人影が、まるで切り絵を貼り付けたように平面的に描き込まれています。ドラン以前の巨匠たちには、人物像を、ここまで「原色のシミ」のように表した画家はいませんでした。


 フォーヴィスムの特徴を、①原色の使用、②即興性、③平面性、④影を付けない、⑤伝統的な美の規範からの決別、の5要素と定義づけるなら、この作品には、フォーヴィスムの特徴が、すべて含まれていることになります。

しかし、ドランがここまで既存の美意識を否定したにもかかわらず、多くの人々が、この作品を見て、美しいと感じるのは、彼が見える物を写したのではなく、感じたイメージと色を、彼自身が楽しみながら表したからに他なりません。

来月の美術講演会「フォーヴィスムとは何だったのか」は、ZOOMで7月17日(土)午後6時半に開催です。


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最終更新日  2021.06.20 18:17:43
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