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週末ジェフリーと夜道を歩きながらこんな話をしました。
私「脳死がすごくポピュラーになっているけれど、たとえ脳が死んでも人の意識って本当に完全に失われているのかな?心臓がたとえ数日後に止まるとしても、まだ意識のかすか遠くで、私、まだ死んでいないよ!って叫んでいるかもしれないよ」 ジェフリー「そうだね。脳が死んだら、死なのか、それとも心臓なのか、脳死が認められていても意識がまだ残っているかどうかはきっとわからないだろうね。」 私「もし自分の親しい友人や家族が、脳死や植物人間になったらジェフリー、あなたは彼や彼女を死なせてあげる?」 ジェフリー「それは相手によるかもしれないね。。でも、、もしmakieがそうなったら、僕はたぶん絶対装置を外すことはできないと思う。」 .....そして私は考えた、もしジェフリーが同じように植物人間になってしまったら?きっときっと何十年も彼が目を開けるまで、目を開けなくても看病し続けるだろうな私。もし彼が死ぬと分かっていても、たぶん同じように装置をはなすことはできないだろう。離して苦しみから解放してあげることも大きな愛だと思うけれど、たぶん今の私にはきっとできないだろう。 ああ人を愛するってこういうことなのだろうな、と思った。それなりに恋愛もしてきた。過去に好きになった人も私を好きになってくれた人もいる。でもジェフリーに対する思いは、今までとは比べるものがない。血のつながっていない男性に対して愛が芽生える感覚は、装置を離せないという思いに通じるのではないかと思った。 人に命をあげること、これ以上大きな愛はない、と聖書にあるけれど、私はジェフリーに自分の命をあげれるのかな、、、これはずっといつか夫婦になるときが来て、そして何十年も一緒に過ごしたらわかるのではないか、、と思う夜道の散歩でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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