ばあちゃん、おつかれ!
今回の滞在中、私が5歳くらいの時の祖母の日記を読んでいました。一日ほんの数行の、日記というより仕事をしていたばあちゃんの日誌のようなものですが、いやあ面白い、止まらない。私の知らない私や、家族・親戚が出てくる本を読んでるみたいです。小さい頃を思い出そうとするとなぜかいつも祖母の家の庭で犬と遊んでいる光景なのですが、これを読んで納得、私の両親はまだ若かったので、しょっちゅうばあちゃんに預けられて仕事をしてたり、映画を見に行ったりしてたらしいです。週2回くらいですよ。初めて一人で自転車で行った日なども書いてあり(江古田ー沼袋間。えらい長く感じたけど,今検索したら大人の足で徒歩25分くらいでした)、記憶と一致しています。私が来るのは嬉しいけど、帰る時も嬉しい事(笑)、それでもしばらく会えないと寂しい事。私を連れて映画に行った事。帰りにデパートで食事をし、屋上で遊んだ事。初めてマックに行ったのも私がいたおかげだと書いてありました。あの頃、一番怖かったのはばあちゃんがいなくなる事でした。母は若かったのでまだ死ぬはずがないと思い込んでいましたが、ばあちゃんは私の愛情を確かめるためか、しょっちゅう死について話していました。いつも「飛行機が落ちたらあっという間に死ねるし、あんた達に沢山慰謝料が入るから飛行機で死にたいわ」と、今考えたら周りの人達ははた迷惑な事を言っていました。ちょっと酔ってたのかもしれません。ばあちゃんは3人の子供がまだ成人する前にちゃらんぽらんだったじいちゃんと離婚をし、ずっと一人で働いていました。自分で言うのもなんですが、かなり悲しい状況で初孫の私が生まれたのがとっても嬉しかったそうです。しかし60前後だったので「と言ってももう子供を見るのはしんどい」とも書いていました。この数年後にイギリスから嵐の如くやってきた2人の孫のフルタイム養育係になるのもつゆ知らず。(笑)。孫は私達3人だけ。私は結婚しましたが子供もいないし、他の2人も独身でばりばり働いてるので、ひ孫は見れなかったね。葬儀は小さな小さな会場で、家族7人だけで執り行われました。ばあちゃんは私の知ってるばあちゃんではありませんでした。毎月判で押したように「ヘヤダイ(ヘアダイ,髪染め)」と記していたばあちゃんでしたが、頭は真っ白。私が一番似ていると言われていた、どっちかというと黒かった顔も真っ白。でも天寿をまっとうして本当に安らかな顔でした。みんなで沢山のお花で棺を埋め、思わず「白雪姫みたい!」と言ってしまいました。従姉妹たちはばあちゃんが大好きだったお酒と煙草を私達の写真と一緒に棺に入れました。火葬場ではなんと歩いてる時に靴の踵がボロっと落ちてしまい、だましだまし歩いてたのですがなにやらボロボロ分解し始め、スタッフの方にスリッパを持ってきてもらう羽目に。こんな事ってあるー?? アメリカからはスニーカーで来てたので、母の古い靴を借りたんです。ばあちゃんも笑ってる気がする。みんなちょっと泣いたけど、もっと笑った葬儀になりました。ばあちゃんも絶対喜んでくれたと確信があります。ばあちゃん、長い間お疲れさまでした。お世話になりました。ゆっくり休んで、好きなだけおいしいお酒を飲んでください。ばあちゃんと本場ロンドンのパンク野郎の彼氏(←うそです)。