2007/05/30(水)00:21
祖母の33回忌
祖母の名前は、トミといった。
近所のおばあちゃん達仲間から、「おトミちゃん」と言われ、慕われていた。
毎朝のお仕事を追えたら、近所のおばあちゃん達みんなで「おクマちゃん」のうちに集まり、8:15からのNHK朝の連続テレビ小説を見ていた。その後お茶を飲み、家に帰ってくる。その集まりをコンパと言っていた。
ハイカラな名前をつけたものだ。
人生のほとんどを町内会の中だけで生きているような人たちだった。
よく誰かの家に行き、お念仏を唱えていた。
葬式饅頭をよくお土産にもって帰ってくれた。
信心深い人たちだった。
僕ら孫にとっては、神様のような人だった。
あったかくって、いつも受け止めてくれる人だった。
出かけることが多かった母の代わりに、僕ら兄弟を育ててくれた。
怒ったことは、見たことが無い。
いつも褒めて育ててくれた。
冬になると、朝早くから海苔を干していた。
夕方縁側で、海苔をはがしていた。
日曜日の昼ごはんに、祖母と2人だけのとき、縁側にお膳を出して、
もみ海苔に味の素と醤油をかけて、あったかいご飯につけて食べさせてくれた。
肥やしを担ぐアルバイトをさせてくれた。
畑の肥溜めまで、数回運ぶ。
ピチャピチャはねるのが怖かった。
終わると50円くれた。
それで、マガジンかサンデーを買った。45円。
あまった5円で、コロッケを買った。
兄が高校に入って、ラグビーを始めた。
ラグビーのテレビ中継で、ラック(密集)状態を見て、
「お前だけは、この中に入ってはいけない。」といつも心配していた。
寝たきりになった祖母をいろんな人が看てくれた。
昔お世話になったからって。
その祖母が亡くなって、もう33年。
祖母から何を受け継いだのだろう。
「人に対する無条件の暖かさ」
会得するにはまだまだ時間がかかりそう。