カテゴリ:太宰治
……11年ぶりの禅林寺。 夜毎の雷雨が嘘のような、今週一番の快晴である。 三鷹中央通りを下り、できたばかりの本を、「彼」の墓前に捧げに行く。 墓所はちいさく、目をつぶってでも辿り着けると思っていたが…… わからなかった。汗 大きな木の陰だった、とぼんやり記憶していたけれど、それが桜の木だったことは思い出せなかった。 11年前はよほど緊張していたのだろう。 いや、若かっただけか。笑 あのとき。 没後50年はまだまだ「追悼」のムードが色濃く残っていたっけ。 青い花を一輪持った私は黒いワンピース姿で、墓前に手を合わせた…… けれど。 その瞬間を、新聞社のフラッシュ攻撃にあい、捕まえられてつまらない質問を浴びせかけられ、満足な返事さえできず……情けないような泣きたいような、なんともいえない気分で、逃げるようにその場をあとにしたのだった。 (そのときのことは、『海月』創刊号に書いた。) あのときの私とはちがう。 19日を微妙にはずした日にやってきたし、 黒のジャケットこそはおったけれどもふつうの夏服にグリーンのパンプスを合わせているし、 バッグには捧げるべき本がある。 ……空はあくまで晴れ渡っているし、さくらんぼの箱をかついだ男もいない。 ……それでも。 親切そうな夫婦連れのおじさんに好奇の目で見られ、 「おねえさん、ダザイの墓ならこっちだよ」 と、……。 言われる私はまだまだ未熟者だった。爆 見てろ。 没後70年には、私が若い子に声をかけているかも。違 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 18, 2009 10:07:39 PM
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