全て
| 秋のベネルクス・プロバンスの旅(05)
| わたくしの外食写真
| 一歩家を出ると、そこは非日常の浮世がある
| 韓国の旅写真
| 夕日ショー
| 今日のお惣菜
| 旅先で撮った写真(国内)
| ちょっと納得!!
| インドの想い出・・・写真
| 想定外の出来事
| オランダ・ドイツ(Aachen)の旅
| 今夢中になっている!!事
| シアトル・カナダの旅
| 師走のパリを一人歩き
| 再び冬のイタリア列車の旅へ
| 生きにくい世の中
| てくてく・きょろきょろ・寄り道歩き
| パリからベルギーそしてソウルへ
| 空を見上げると何かがある!!
| 自家製のデザート
| ヒマラヤのお膝元ネパールへ
| 日常の食から・・・・
| 師走のバルセロナ・ベルギー・パリの旅
| 東北・三陸の旅
| 四国・中国地方の旅
| 良寛さんの里へ
| ベトナム縦断の旅(014・12)
| 千里の道も一歩から
| 何時ものように
テーマ:旅の写真(3471)
カテゴリ:東北・三陸の旅
周辺で一番津波被害が大きかった所を、宮古の観光案内所で聞いた 田老(たろう)と言う場所だった。 宮古駅からバスに乗って約30分 途中、トンネルがあったり、大きな病院へ寄ったり、 バスは市民に取って、大切な足である しかも、本数は少ない しかし、乗客の殆どは、途中で下車し、 田老まで行ったのは虚空一人 何となく不安になるも、田老地区に入って風景が一変する 人を寄せ付けない場所になっている、人家が山側に点在するが、 海側には家屋も見当たらない。 この地区には4400人が住んで居た ここは「津波太郎」と言う異名がある程、津波の多い地区である 津波による歴史が物語る 江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅した 1896年(明治29年)6月15日 - 明治三陸地震で発生した 高さ14.6mの津波が襲い1859人(村人口の83%)が死亡 1933年(昭和8年) 3月3日 - 昭和三陸地震による大津波では 911人(村人口32%)が死亡。 1958年(昭和33年)3月 - 最初の堤高10m超の防潮堤が完成。その後も増設を続ける。 1979年(昭和54年)長さ2433m、高さ10m(海面から)の防潮堤が完成 「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。 住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。 岩手県宮古市田老地区にあった 全国最大規模の津波防潮堤。防潮堤は安心のよりどころだった。 だが、『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか 2011年3月11日東日本大震災の未曽有の大津波には なすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。 ネットから 田老は今、何処もこんな風景 日本一の防潮堤 防潮堤の一部が残っている 道を歩く人は居ない、歩きにくい 道路は土埃をあげて、大型の工事車両が頻繁に行き来していた 覚書 「一休を歩く」 水上勉 良寛「手毬」 瀬戸内寂聴 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年11月26日 13時19分24秒
コメント(0) | コメントを書く
[東北・三陸の旅] カテゴリの最新記事
|