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人生は旅・その旅を・旅する・わたくし

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2014年10月13日
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テーマ:旅の写真(3471)
カテゴリ:東北・三陸の旅
 

周辺で一番津波被害が大きかった所を、宮古の観光案内所で聞いた

田老(たろう)と言う場所だった。

宮古駅からバスに乗って約30

途中、トンネルがあったり、大きな病院へ寄ったり、

バスは市民に取って、大切な足である

しかも、本数は少ない 

しかし、乗客の殆どは、途中で下車し、

田老まで行ったのは虚空一人

何となく不安になるも、田老地区に入って風景が一変する

を寄せ付けない場所になっている、人家が山側に点在するが、

海側には家屋も見当たらない。

この地区には4400人が住んで居た

ここは「津波太郎」と言う異名がある程、津波の多い地区である

荒波津波による歴史が物語る荒波

荒波江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅した

荒波1896年(明治29年)615 - 明治三陸地震で発生した

  高さ14.6mの津波が襲い1859人(村人口の83%)が死亡

荒波1933年(昭和8年) 33 - 昭和三陸地震による大津波では

911人(村人口32%)が死亡。

1958年(昭和33年)3 - 最初の堤高10m超の防潮堤が完成。その後も増設を続ける。

1979年(昭和54年)長さ2433m、高さ10m(海面から)の防潮堤が完成

荒波「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。
住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。
岩手県宮古市田老地区にあった
全国最大規模の津波防潮堤。防潮堤は安心のよりどころだった。
だが、『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか
 
2011年3月11日東日本大震災の未曽有の荒波大津波には
なすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。
 
ネットから下矢印 
 
0410-kashin-taro-photo_kahoku.jpg 
 田老は今、何処もこんな風景下矢印
 DSCF4247.jpg
 
 
 DSCF4259.jpg
 
 DSCF4221.jpg海.jpg
 
 日本一の防潮堤
 
 DSCF4233.jpg
 
 防潮堤の一部が残っている下矢印
 
 DSCF4227.jpg⇒.jpg
 
 
 DSCF4224.jpg桁.jpg
 
道を歩く人は居ない、歩きにくい
道路は土埃をあげて、大型の工事車両が頻繁に行き来していた 
 
 
 
                                          覚書 「一休を歩く」 水上勉
良寛「手毬」 瀬戸内寂聴 
 





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最終更新日  2014年11月26日 13時19分24秒
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