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南青山にある岡本太郎美術館で、パッション、情動の息吹を感じる。
すでに故人であるのに、まるでそこに存在しているかのような躍動感のあるアトリエ。 実物大の像はまるでこちらに話しかけてくるような、生きているかのよう。 絵は原色がまぶしく突き刺さる。 いつなんどきでも自分との闘いをやめなかった。 <TAROの言葉> *「自分らしく」なんて、クソクラエ。どうでもいいじゃないか。ヒマ人の寝言だ。 今、この瞬間、命を開かせる。今、やれることを全身全霊、無目的にやる。 命がパッと広がっていく。 *人に認められよう、うまくやろう、ときょろきょろしていると、無限に弱くなる。 認められなくていい、認めさせない、と決意してやれば何も怖くない。 *みんなおかしいんだよね。なんか、升みたいなものにエネルギーがたまっていて、一定の 分量に達するとポーンと爆発するんだと。そんな風にえらく素朴に物理的に考えている。 そうじゃないんだ。 エネルギーがあるから爆発するんじゃない。エネルギーなんかゼロでも、マイナスだって やることがある。やりたい、だから爆発する。人間の情熱とか行動ってそういうもんだよ <TAROを全身全霊で支えたTOSHIKOの言葉> *誰もTAROになれないと思っている。あれは特別な人なのだ、と。だからなれない。 私はずっとそばにいたから知っている。岡本太郎は決して特別な人ではなかった。 優しくて、デリケートで、神経は鋭いし、痛がり屋の本当は弱虫といっていいくらい。 決して蛮カラの豪傑ではなかった。 *ただ、決意したのだ。その決意を貫いた。決して変えなかった。だから強いと見えただけ。 *みんな自分を輝かせたい。ぼくは、私は、もっともっと凄い力を秘めているのに、誰も わかってくれない、と密かに口惜しい思いをかみしめている。 ならば、うじうじしないで、そのようにふるまうべきよ。 平気じゃないの。誰に遠慮しているの? *これでわかった、自分はこういう人間だ、なんて思ってもそれは一時の幻想、迷妄にすぎない。 だから、追いつめて、追いつめて、らしくなんかじゃないギリギリの自分を突き詰めて みることに、ファイトをそそられる。 今年の前半、なにやら人生ひと段落、みたいな風に考えていた自分。 いやはや、とんでもない思い違い。 自分とのファイティングポーズを下ろしたら、もうそれでジエンド。生きながらの死。 再び、以前より数倍、数十倍、いや以前とは全然違うレベルでファイトする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.09.18 16:31:52
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