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小さい人が殺されるニュースが続きました。
その子たちが産まれた意味を考えます。こんな殺され方をするために生まれてきたはずではないのに、神様はどんな未来図を持っていたのでしょう。 「そんな(病気の)お母さんなんかいらない」 ほんとに言ったのかどうかわかりません。小1の男の子が母親にそんなこと言うんでしょうか。 この母親がどれほど追い込まれ、どれほどしんどく、どれほど平常心を失っていたかはわかりません。この人にとってどれほど耐え難いひと言だったかもわかりません。 報道からは本当に断片だけ、片面だけしか見えてきません。デリケートな事情もあるのでしょう。 色々な負の要素が積もり積もって、持ちこたえられなくなったのかもしれません。 私は。 アキさんが生まれた日に、それまでも色々あった人生の中で最大の心の傷を負いました。時間が経ってもそれが癒えることはなく、深いままえぐれたまま私の中にじっと残っています。誤解のないように言うと、その傷はアキさんがハンデを持って生まれたからではなく、私たちを取り巻く状況に対しての絶望感でした。もう立ち直れないと思ったけど、それでもなんだか私は元気です。 心に暗闇が立ちこめそうになると、それを振り払う技をだんだん覚えました。開き直ったり、八つ当たりしたり、泣いたりいなくなったりして、なんとか心に晴れ間を取り戻しながらやっています。私が必死になって退屈を嫌い、必死になって楽しいことばかり考えようとするのはそう言う理由かもしれません。虫が良すぎますか? 「お母さんなんかいらない」ってほんとに言われたとしたら、その人の心がもうその一言で暗闇に覆われてしまったのだとしたら。 心の絶望は恐ろしいです。本当に恐ろしいです。 お母さん達がタフでいられるために、絶望の暗闇に襲われないために、みんな助けてあげて下さい。笑っていても絶望している人は実に多いはずなのだから。 息子の首に手をかけた、身震いする瞬間を想像しながら、つらつらと書いてしまいました。 なんともやりきれない、残酷な現実です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 24, 2008 10:02:04 PM
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