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koto33

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2021.06.10
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カテゴリ:書評 完コピ
​​​ 本書を読みながら、中学・高校時代、東京大学の受験に至るまでの数学の勉強中や試験の間に考えていたことを思い出した。「考えるな。手を動かせ」これが数学を学ぶ際のコツだと、私はいまでも思っている。問われているのは「頭の良さ」ではない。決められた操作を練習してきた回数であり、鉛筆を動かす速さだ。人間の認知能力には限界があり、それを補うのがノートや計算用紙に書くメモである。初見の問題でも量を多く書くことにより、既知の事柄を組み合わせた発想が生まれてくるとずっと考えていた。
人類は直立二足歩行を覚えたことで両手を使えるようになり、道具を獲得した。その使用は能力の限界を補い、世界を拡張してくれた。計算の歴史は計算のための道具の歴史である。全編を通して、人類が「道具」によって計算の能力を向上させるとともに認識を拡張してきた歴史が書かれている。さらに計算の歴史を辿った末に見えてくる現代の問題点、そして我々が未来にとるべき行動まで示唆している。人工知能が人類の計算能力を遥かに凌駕している現代において、人類であることの意味、人類ができること、人類にしかできないことを浮き彫りにする。著者の真意は読者に数学を理解させることではない。実際、数式はほとんど出てこない。先人の試行錯誤の歴史を通して、自らが「計算する生命」=人類であると自覚させることだろう。「できる」ようになってから「分かる」と実感するのは数学の勉強中によくある現象だ。それもそのはず、天才たちが何年、何十年もかけて編み出した計算方法を数日でマスターしようというのだ。先人の試行錯誤の産物を、咀嚼もせずに飲み込み続けることが、数学の試験勉強のあり方だ。私は勉強するたび、計算の歴史を飛び越える秘密の特急券をいくつも享受してきた。味わいを失っていた。それは悪いことではない。人類が何千年も続けてきた計算の試行錯誤のすべてを味わう時間など、我々には用意されていないのだから。だから本書には計算の「味」を感じる。旨味を感じる人工知能も存在するかもしれないが、「美味しいものを食べて明日も頑張る」というように、味覚を明日への活力にできるのは人類だけだ。生得的ではない能力を道具で獲得してきたなんて、なんと希望のある話だろう「計算する生命」とはすなわち、先人の力を借りながら、自らと自らを取り巻く現実を変革できる希望に満ちた人類像なのである。
(鈴木ゆりえ)​
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最終更新日  2021.06.10 21:04:25



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