目ざめの反省
目がさめたとき、すぐ起き上がらなくてはならない状況のときは、それはそれでいいとして、いまもって、個人的にくりかえし反省することになっているのは、目がさめてから起き上がるまでのあいだ、ぼんやりしているのが心地よいならそれはそれでいいのだけれど、そうではなく、ぼんやりしているのが重苦しいにもかかわらず、惰性のせいか、つまらないまま、意図的な行為に切り変えないでいて、後悔している。ここで「意図的な行為」というのは、「横たわったまま思考を落とそうと試みる」とか「聞こうと決めた朗読なり何なりを聞く」とか、なんだけど、それにしてもなぜ、後悔し反省していることをくりかえすのか?原因がおろかな行為をするおろかな私にあるなら、けっきょくのところ、反省がたりない、ということになるのだろう。