ヨハネとイエス・キリストの御生誕 その2
ヨハネとイエス・キリストの御生誕の続きです。もう一回だけ続きます。またまた、ちょっと長いです。今後は、短い引用にしたいと思います…(^^;今回は洗礼者ヨハネの誕生について。イエス・キリストの母親マリアと同じく、ヨハネの母親エリザベトは聖霊によって身ごもります。この時点で、聖書を本物と認めるか認めないか、のひとつの試金石がここにあるといってもいいのかもしれません。通常、人間の頭で考えれば、いわゆる処女懐妊というのは、ありえないわけです。だから、ここはフィクションであるとみる方も多いのかもしれません。しかし、誤解を恐れずにいえば、聖書は神の御言葉です。宗教的にとられるかもしれません。神がいると仮定すれば、やはりこの出来事は事実であるといえるでしょう。人間ではできなくても、神であればそういったことは、もちろんできるはずです。…と、そんなの暴論だと言われるかもしれませんね…。神を持ち出せば、何でもありではないかと…。このあたりは、あまり触れないほうがいいのかもしれません。そして、神が人間をつくったなどというと、これまた、現代の常識である「進化論」から真っ向対立することになります。しかし、結論から言えば、進化論は残念ながら、真実ではなく、あくまで仮説です。いまだに進化の過程を表わす証拠が何ひとつ発見されていないといってもよく、進化論はありえない説である以上、この先、そのような証拠が出てくるとは考えられません。久保有政氏や飛鳥昭雄氏が指摘しているように、進化論はもはや崩壊しているといってもいいでしょう。『オーパーツと天地創造の科学』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【内容情報】(「BOOK」データベースより)恐竜を象った土偶や古生代の貝とともに化石化したハンマー…。その時代にあるはずのない謎の工芸品オーパーツ。アカデミズムが存在を無視しつづける一方で、アトランティス文明や異星人の関与が指摘されるなか、ついに、すべてを説明する学説が登場した!!根拠のない年代測定や矛盾だらけの進化論を超克するため、最前線のサイエンティストたちが提唱する「天地創造の科学」とは何か。21世紀の科学ルネッサンスが今、始まる。 【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 進化論を否定するミッシングリンクとオーパーツ第2章 世界的ノアの大洪水と地球環境の大激変第3章 オーパーツの正体第4章 天地創造の科学第5章 年代測定法の虚構第6章 創造論科学者とサムシング・グレート第7章 生命体に刻まれた創造の証第8章 天地創造の科学が語る人類史 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ほぼ、この本で、進化論は残念ながら、崩壊していることがはっきりと証明されています。この宇宙は、サムシング・グレートでも何でもいいのですが、神によって創造されているということになります。聖書で言えば、絶対神ヤハウェであり、その絶対神が、人間に受肉したイエス・キリストだということになるのでしょう。もうひとつだけ。聖書の試金石といえば、間違いなくイエス・キリストの十字架での死と復活でしょう。これまた、人間の常識で考えれば、死んだ人間が復活するなどということはありえないわけです。だから、そこにはトリックがあるはずだと。たとえば、十字架に架かったのはイエスの弟であり、本物のイエスは逃れた…。そういった説も何かの本で読んだことがあります。しかし、果たしてそうなのか…。これも誤解を恐れずに結論を言えば、やはり事実であるということになるでしょう…。このあたりは、難しいものがありますが、いずれ時が来れば、事実かどうであるかははっきりとするでしょう。長々とすみません。洗礼者ヨハネの誕生場面です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 そこで、マリアは言った。 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、 我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。 それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、 敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、 生涯、主の御前に清く正しく。 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。 (新約聖書「ルカによる福音書」第1章39節~80節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 次回、イエス・キリストの御生誕場面を紹介して、区切りをつけます。