おじいちゃんの死
おじいちゃんが亡くなった。91歳、子供や孫たちに囲まれて大往生だったと思う。昨年末まで、歯科医師として仕事を続け、体調が悪くなって引退のお祝いを親族みんなでやってからゆっくりと、その命を閉じていった。おじいちゃんは冗談が大好きで亡くなる前日まで、冗談を言って笑わせていた。この歳になるまで大きな病もせず、体も心も健康でいたのは感服する。先週、お見舞いのあと、おじいちゃんがずうっと何十年も書き綴っている日記を読んで見た。「セリエA第16節カリアリvsインテルの試合はアウェイのインテルが0-2で勝利」「移動性高気圧の影響で小春日和。春のようだ」新聞から得た情報の合間に、昨年秋くらいから体調の事について書かれていた。「体調が悪く、あまり食欲がない。」「心臓が苦しく、ボルタレン2錠飲んで落ち着いた」かなり弱気になってきている感じが伺えた。そんな文章の中に「M(叔父;祖父の息子)やK(私の母;祖父の息子嫁)が心配してくれるのは有難い事だ」「Kがとてもよく面倒を看てくれているのは感謝する」とあった。普段、あまりそういったことを口にしないおじいちゃんが、母などに感謝の意を表していた。特に母は今まで、父、祖母、そして祖父と順に、3人の介護を献身的に行なっていたのでそれらをみてきたおじいちゃんはこころから感謝をしたのだと思う。眠っているおじいちゃんは、笑っているようだ。そうだよ心配する事はないよ、おじいちゃん。歯科医院はいずれは弟が再開するだろうし、末子なのに親分肌の昭島の叔父に任せればいろんな問題も吹っ飛ぶし、おじいちゃんの冗談はもうすでに四谷の叔父の担当になっているからね。私はなんにもできないけど、時々おじいちゃんたちに話しかけるから。「おじいちゃん、笑点で林屋木久扇がまたしょうもないこと言ってるよ」とか。ねえおじいちゃん。向こうに行ったらお父さんやおばあちゃんによろしく。あとさ、3月22日っておじいちゃん。私の誕生日なんだよ。嫌でも、命日、忘れないよねえ