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テーマ:暮らしを楽しむ(388605)
カテゴリ:日々のこと
ここまでの人生、魂のレベルで最もスランプだったのは30代前半だった。でも自我のレベルで最大の挫折感を味わっていた時期は、たぶん20代の中盤、お茶の水近辺でOLしてたころだったと思う。
今思い出してもあの頃の私は気の毒だった。 趣味らしい趣味もなく、人生の目的もなく、ただただ辛かったのだけど、そのころチェロの音にとても惹かれていた。クラシックなんかぜんぜん好きじゃなかったし、いまでもただ好きなだけで詳しくはないけど、チェロのCD、とくにソロの曲を聞くととても安らかな気持ちになった。 今日、ぽんぽんのカンフーのおけいこにつきそって教室を借りている公共施設に行ったら、エントランスでチェロのコンサートをやっていた。 バッハやコダーイの無伴奏チェロ、トロイメライ、鳥の歌… 懐かしい曲が次々演奏され、 「やっぱ、CDじゃなく、本物の音は違うわ~」 と感心することしきりだった。 でもコダーイも鳥の歌も、わたしの頭の中にある演奏とは違っていて、かなり消化不良だった。わたしの勝手な刷り込みなので、文句をいってもはじまらない。 とくにカザルスの鳥の歌は、もっと野太く弾いていただきたかった。 絶え間なく戦争を繰り返しながら、絶え間なく平和を求める、悲しい存在である人間のやるせない歌だと勝手に思っていたが、 「原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。鳥が「peace」とさえずるように演奏することで有名」by wiki だそうだ。しらなんだ。 バイオリンの音域が苦手で、かなり長いこと弦楽器といえばチェロだったのだけど、これってわたしが男性に対して声フェチで、低音の響く声に弱いのと関係があるのかな~。お坊さんの読経の声、いい声の人に当たるとすごくうれしい。 しかし弦楽器は感情が乗りやすくて、おもしろいだろうな。 とりとめない日記でごめんなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月06日 22時48分32秒
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