台所の音
古本屋をやるくらいだからよほどの文学好きだろう、と思われがちですが、大きな声では言えませんがあまり読みません…。なんかこう、苦しみとか悲しみとかをコネコネしている感覚がきらい。「うまれてきてすみません」なんていってる暇があったら外に出て門の前でも掃いて来いっ!っていいたくなる。(でも、けっこう自分は「うまれてきてすみません…」なんて凹んだりするときもある)基本的に本からは知識を得るというスタンスで付き合っています。とくに精神世界とお付き合いするようになってからは、そっちの本を読むのに忙しい。でもエッセイは好きです。とくに独特の日本語の使い方が不思議な切れ味になり、自分のいい加減さをばっさりきられる快感…料理研究科の辰巳芳子さん。読みやすく、無駄がなく、きりりとした文体、繊細なテーマで目からうろこ…幸田文さん。中学生だったか、国語の試験でさんの幸田文さんのエッセイが出ました。父の幸田露伴が文の部屋に入ってきて、花瓶だったか筆入れだったかわすれたけど、そこにないのに気付いて「あれはどうした?」と聞く。文が「割れました」と答えると、「割れたのではなく割ったのだろう」と切り返される。それだけの話なのだけど、いまでも妙によく覚えています。日常の出来事のひとつひとつに注意をはらって生きること、口から出る言葉をおろそかにしないこと。まさにNow,hereかつ言霊ですね。同じく幸田文のエッセイの中でやはり父の露伴に、「お前の台所の音は荒い」とかなんとかいわれるシーンがありました。(ちょっとうろおぼえ)「京の台所はもっと音がおっとりしている」といわれ、文は自分の仕事の仕方が心がこもっていなくて挙措が荒いのだろうと反省するのですが、父の死後に京都に行って夕飯時の町を散策し、台所の音に耳をそばだててみたが、あまり変わらないような気がした、という話。そういえば辰巳芳子さんの本にも、「大根をおろすとき、つい、ぞりぞりと力まかせにしてしまうが、しょりしょりと軽い音になるようにしたい」と書いてあったな。そんなことを考えながら、どしゃん、がしゃんと大きな音を立てながら、「ぽんぽんっ!はやく食べちゃいなさいっ!」「生活調べいれたの?ハンカチはっ?」「あー、たまねぎがない~っ!」と、台所であわてふためくan-nonでした(^^;