オムスビの威力
オムスビの威力昨日は日記をさぼってしまいました。"珍ロッククライミングその2"の続きを書くつもりだったのですが、今日ふと思い出したことがあるので、それを先に書きたいと思います。今日は日曜日。珍しく車を洗って、その後、コスタメサという町にある日本食料品店に買出しに行ってきました。普段は近所にある一般のグロッサリーストアで買い物をすませるのですが、調味料やお米など、普通のお店にあるものでは、微妙に代わりがつとまらないものが必要になった時だけは、そこまで足をのばします。とはいっても、フリーウェイを車で飛ばして30分。もっと気軽に頻繁に通える距離なのですが、日系食料品店の商品は、一般のお店より、ちょっと割高な気がするので、近場のお店ですますよう心掛けているのです。なんてことを、公共の場(私のブログとはいえ、一応どなたが読むかわからないので、ここは公共ですよね)で言うと、営業妨害と思われるかもしれませんが、今日私の書きたいことは、そうではなく、謝意の表明なのです。皆さん、カリフォルニア米は、意外においしいという噂を耳にしたことがありますか? 日本でおいしいお米というと、新潟などの寒冷地で丁寧につくられたお米だからおいしいというイメージで、温暖な気候のカリフォルニアでおいしいお米がつくれる訳がないと思われるかもしれませんが、ところがどっこい、意外や意外、カリフォルニア米は日本米に遜色ない程おいしいんです。勿論、ブランド名は良くおぼえていませんが、日本で最高級といわれる、一般庶民が日常的に食すことができないような(もしかすると私の実家だけが、そういうお米を食べてないだけかもしれませんが…)お米には適わないでしょうが、大衆的な味として、食べるには充分おいしいし、その上、大変安価なのです。(重さの単位が違うので、今とっさに比べられないのですが、 少なくとも半額以下の値段です)私はお米をたべないと、欲求不満のような、なんだかいつもお腹が空いているような、心許ない気持ちになってしまいますので、殆ど毎日お米を炊いて、ぴかぴか光った炊き立てのお米を「おいしい、おいしい」といいながら(心の中で)頂いています。そして、時々(いつも思い出すわけでなくて、ごめんなさい)こんな美味しいカリフォルニア米を、このアメリカで、日常的に食べられるまでに、試行錯誤を繰り返しながら、研究されてきた日系人の方々に感謝するのです。勿論、日系食料品店には、お米だけでなく、色々な野菜、穀物など、日系の方たちが生産しているものはたくさんありますが、今回は思うところがありまして、お米だけについてお話したいと思います。話は、26年前に遡ります。私は、高校一年生から二年生に変わる春休みを跨いで、中央カリフォルニアの小さな街にある公立高校に1ヶ月間だけの短期交換留学生として滞在しました。今から比べれば、海外に留学することがまだまだ一般的でない時代で、新物好きの母が、半分強制的に、私をカリフォルニアに送り出しました。当時の1ドルは270~80円、たった5~6ドルのハンバーガーを買うにも「これだけで、1500円なの!?」ハンバーガーを買うのに躊躇った時代です。私のホームステイ先は姉妹校の校長先生、スティーブの家。奥さんと、17歳の長女、ステファニーを筆頭に3人の子供と18歳の甥っ子、ロバートの合計7人家族です。二十歳未満の子供が5人も住んでいたら、さぞかし賑やかな家庭を想像するかと思いますが、厳格な校長先生に完璧にオーガナイズ(コントロール)された家で、明るくフレンドリーなアメリカ人家庭からはほど遠いイメージです。高校から家まで車で30分ほどの距離がありましたので、とても歩いて通えません。毎朝、ステファニーかロバートの車に乗って通学し、毎夕、どちらかの車で家に帰ります。毎日、一番憂鬱なのは、放課後、2人のうちのどちらかの授業、もしくは課外活動が終わるまで、あのしかめっつらのスティーブと2人きりで、校長室でお迎えを待ち続けなければいけないことです。普段調子の良い私が、緊張のあまり(英語力のモンダイもあり)沈黙です。とはいえ、元来、事なかれ主義で、環境に順応しやすい体質の私は、スティーブ以外の人とは、簡単に仲良くやっていけます。ステファニーもロバートもスティーブがいなければ、気楽にくだらないお喋りをします。 「まあ、校長室のスティーブも、壁にかけてある歴代校長先生の肖像画のひとつ(動くけど)と思って、ほっとけばいいか」と平気になってきた頃の週末、スティーブが彼の日系人の友達の家に私を連れて行くと言い出しました。「ゲーっ!なんで週末まで、スティーブと2人きりにならなきゃいけないんだよー!?」と心の中で叫びながら、逆らいもできず、大人しくスティーブの後についていきます。私とスティーブは、車で一時間ほどドライブした後、人里離れた林の中に優雅に建っているログハウスに着きました。迎えてくれたのは、50歳前後の日系2世のエミコさんとユキオさんです。お恥ずかしいことに、当時16歳だった私は、アメリカでの日系人の歴史を全く知りません。クラスメートの中に何人かの、日系人がいましたが、彼らは3世。日本語は全く喋りませんし、行動、言動は、全くアメリカ人と同じです。ですので、日系人といわれても、エミコさんとユキオさんに会うまで、日本語で会話ができるということを全く期待していなかった私は、彼らに会った当初は、頭が混乱してしまいました。何を喋ったのかまったく記憶にないのですが、「日本語喋れて、ウレシー!!!」と心の中で感激しながら、喋りまくったことは覚えています。ひと段落して、恵美子さんが台所から食べ物を運んできました。自家製の瓶詰めの果物にアイスクリームをのせたものと、別のお皿にまんまるのオムスビが2つ載っています。相変わらず私は喋り続けますし、エミコさんもユキオさんも、Pure Japanese(彼らは私をこう呼びました。彼らも生物学的には、Pure JAPANESEの筈ですが、何かが違うのでしょう)の私へ後から後から質問が続きます。喋っているので果物の味も、アイスクリームの味にも注意が向きません。喋りながら、オムスビを手にしました。海苔も巻かれていない、まん丸のオムスビです。大きな口をあけて、オムスビをほお張った瞬間、塩味が、私の唾液腺(この言い方が正しいのかわかりませんが、なんのことかわかりますよね?)を刺激して、耳の横から胸まで、急に“キーン”とした痛みが走りました。不思議に思いながらも、大きな口で、ほお張っていたので何も言わずに、エミコさんの方を見ると、エミコさんもユキオさんもスティーブも驚いたように私の顔を見ています。そして、私も驚きました...。私は泣いていたのです。泣いているという、自覚なしに、涙が流れていたのです。懐かしい(たった一ヶ月なのに)お米の味に刺激されて、涙がでてきてしまったようなのです。自分が泣いてしまった事にショックを受けて(子供がオモラシして、ショック受けているみたいな感じですね)恥ずかしさのあまり、又、自分で自覚していなかった日本を懐かしむ感情が一気に溢れ出てきて、涙が止まらなくなってしまいました。私の涙を見て、エミコさんもユキオさんもスティーブも居心地悪かろうと、早く涙を止めようと、私は思うのですが、一度、ふきだした涙(感情)はそう簡単には止まりません。しまいにはそんな風にジタバタする自分が可笑しく思えてきて、それがそのうち泣き笑いになり、泣き笑いをしだした私を見た皆が笑い出したので、やっと私の涙をとめることができました。なんだか、本当に不思議な体験でした。食べ物をたべて、涙を流したのは、あの時が一度きりです。久しぶりの日本語での会話も知らず知らずのうちに私の日本を恋しく思う感覚を刺激していたのかも知れませんが、あの塩味とお米のコンビネーションなくしては、涙を流すほどのショック(感動)は味わえなかったろうと思っています。おそるべし、“オムスビの威力”です。帰りの車の中で、スティーブに「今日は、エミコさんとユキオさんの所に連れて行ってくれてありがとう」と言いました。スティーブは、私が初めて見る穏やかな笑顔で、「僕も、Krishna丸(すみません、変な名前で…)が、楽しそうにしてるのをみて嬉しかったよ。」と言いました。なんだか、急にしかめっつらのスティーブが肖像画から抜け出してきて、スティーブだって普通の人間なんだ、と感じはじめた特別な一日でした。それから、26年後。南カリフォルニアで、一人で暮らしていてもホームシックにもなりません。日系の方達のおかげで、食べ物で不便に感じることがないからです。なんだか、今日は日系食料品店で買い物しながら、そんな昔のことを思いだしたのです。あの、“オムスビの威力”はすごかったなあ、と。