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朝方大阪のNさんからメッセ、相談事があるという。連添いと親しく先日の失語症の日(4月25日)制定の中心になった人である。なぜ私の方なのか、ひょっとしたら連添いには内緒の方がよかったかもと懸念しながら、一緒に13時からZOOMで会った。空間を越えた便利な世の中である。
最近はkindle版で電子書籍というものはごく簡単にできるらしい。その企画に、介護者としての立場から私に文章を、との依頼だった。先日の量も多くないしと快諾した。 夫婦の絆・縁という観点から書いてほしいそうで、日本失語症協議会に投稿した、ケンカで物を投げるにしても、後が面倒だからとティッシュを丸めて投げる、という箇所が気に入られたようである。要するに「お気楽・自分中心に」ということである。 本当の苦労を知らないとお叱りを受けそうだと話したら、「生きているから苦労もできる」と考える方もおられるそうで、それには勇気づけられた。 そこで思い出したのが、以前にも話題にしたかもしれない古典落語の「厩火事」である。だが、文章に取り入れられればと考えて3種類も観てしまったのは今回が初めて。歌丸、円楽、志ん朝だが、骨子は同じでも枕はそれぞれ異なり味わいが違う。一番いいと思ったのが志ん朝のなので今回はそれを貼った。 ストーリーは夫婦の機微を描くもの、最後の落ちが意味深長でいい。唐土(もろこし)の学者でも麹町のサルでもない結末はそれこそ夫婦そのものであり、私は大好きなのである。 人間という存在は決して割り切れるものではない。どうであれ一緒に暮らして行く・行かねばならない夫婦というものは、生きていてこそ、、、いいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 24, 2020 08:17:50 PM
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