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カテゴリ:自分
わたしの中のストレスが
見た目にわからないけれど 心理的にかなりやばいところまで来つつあると 感じたので 昨日、仕事を早く終わらせて、午後半休を取り 何も考えない、感じるだけの時間を過ごそうと思った 何をして何を感じるのか、予想もせず、ただ、目の前のこと、今だけを感じていたら 自分はどうするのか そんなことを思った まず、会社を出て、ふと、手元に、新聞屋さんからもらった、デパートでの作品展のチケットの存在を思い出した いってみるか、と思ったのが、最初の行動 静かに作品を見ていると、おばあちゃんの一団がやってきた 家族の作品と、展覧作品を比較して、あーだこーだ 個人の感想を述べあって、作品にダメ出しするおばあちゃんたち 声がデカい しばらくして、スタッフが、 おしゃべりは、小さな声でお願いします、と、大きな声で言った その瞬間から、作品へのダメ出しは、良いところを探し出す行動に変化し、声も小さくなった なんとなく、SNSで、誹謗中傷を浴びせるような人は、昔からいたんだろうなと思いながら、作品を見ていた 作品は、最初の方が、賞をもらった作品 だんだん、上手な人から、新人の作品になっていった 出口まで来て、戻ってもう一度最初から見た 作品の技術は、わたしにはわからないけど、 作品そのものから受ける印象は、 賞を取ったり、心に訴えるものがあるなと思う作品は、訴えてくるものがとてもシンプルでわかりやすく、その表現をこねくり回したりせず、素直に表していると思った 新人さんたちは、きっと、こういうことを狙ったんだろうなという意図が見えるものの、考えすぎていたり、作品への熱量ばかりが前面に押し出されている気がした ものを作るということは、 自分の思いを映し出すことには変わりないと思うけれど どう思って欲しいという考え方は間違っているのではないか、と思った どう感じるのかは、あなた次第 私は、この部分だけ、ここに残します そういう作品の方が、見る側にとって、想像を膨らませる余地が生まれ、心を動かすことにつながるんじゃないかなって 新人さんたちのエネルギーは、それは、素晴らしいものだと思うけど 見ていてらお腹いっぱい、って感じ 会場を去りながら 介護の世界に入っても、賞を取るような作品のように、自分の世界をしっかり持ちつつ、 相手が世界を広げられる、 私を見て、利用者が疲れてしまうようでは、それは、求められる姿ではないのかもしれないな なんて思ったのでした あー タイトルのユザワヤ まだ出てきませんが、とりあえずこの日記はここまでw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.22 07:58:52
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