再出発日記

2011/04/28(木)22:58

慶州大学助手さんに怒られる 韓旅9-2(慶州、大邸)

韓国旅行(09~)(84)

バスで少し戻って、慶州大学校に行った。博物館の場所を聞く。本屋で聞くと、この棟の三階にあるという。けれども、探せどもそれらしき部屋がないのだ。 この棟は芸術学部の棟らしく、廊下にそれらしき作品を飾ってあった。四人ほどに聞いて、やっと学生の案内人を立ててもらってたどり着いた。 博物館の助手らしき人に館内を案内してもらった。写真は撮ったが、公開はしないと約束したのでパンフの写真のみ紹介。 半分は青銅器時代の遺物で興味深いものだった。キムチャンホ遺跡や忠孝洞遺跡そして隍城洞遺跡の遺物などで面白いものもあった。写真左下の鉄製の小さな壺見たいなものは、青銅器を作るときに流し込む土器(坩堝)だそうだ。日本では見たことはない。 最初博物館の床の上をワックス掃除したばかりらしく、泥の付いた靴で入ろうとすると、止められた。スリッパを探しに行ってくれたが、結局見つからず、「いいです、いいです」と素足で入ろうとすると、「それだけは……」という感じで止められた。結局、古墳群を歩き回った靴で入ってしまい、恐縮した。助手さんは最初何をしに来たのかと相当不信に思っていたようだ。完全韓国語会話だったが、いろいろと冷や汗モノだった。 ついでに茶戸里遺跡で拾ってきた土器の破片を鑑定してもらった。三つは茶戸里時代のもの、ひとつは新羅時代のもの、二つは朝鮮時代のもの、あとは土器ではなく石だったりした。そのとき、ついに怒られてしまった。 「遺跡から土器を取ってきてはいけません。私も日本に行ったときにそれはしていけないと教えられました」 「ごめんなさい。あの……、あなたに預けましょうか」 「それはいい」 たぶん「これからはやってはいけませんよ」という意味なのだな、と勝手に判断。この鑑定隅の土器も日本に持って帰った(^^;)。叱られたのですが、考古学的には至極全うなことで、誠実な人と出会えてなんか嬉しくなった。 と、いうことで助手さん鑑定の茶戸里遺跡土器はこれです。 新羅時代になると、高温で焼くので日本の須恵器に近くなります。 そして朝鮮時代になると、陶器になります。 「ここをどうやって知りましたか」 「大学には博物館が大概あります。ここに博物館があるのかないのかは知りませんでした。but、ここに来ました」 という説明で、やっと不信なものを見る目が和らいだような気がした。 「これからどこに行きますか」 「国立博物館に行って、後は分かりません。大邸にいこうかな」 ふーん、という感じだった。 バスで市内に戻り、バスセンターの近くで昼食です。表通りから離れていて、人が沢山入っている店にはハズレはない。はず。ということで、この店を選んだ。この店の名物料理は「マッタケの焼き物料理」なのであるが、(大)5万W、(小)3万Wで、まったく手が出ない。豆腐鍋(スドゥブチゲ)にした。驚いたことに副食が9皿付いてきた。昨日の食堂も多かったので、これが慶州地域の伝統なのだろう。私の目に狂いはなく、全部美味しかった。りんごと柿をクリームで和えているのは、この果物がこの地方の産地だからに違いない。何かキノコらしきものもあった。

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