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私が高校生の時には「高体連」と呼称するのが一般的でした。
確かに高体連ではありますね(笑) 地区予選が始まるのはもう少し遅かった気がしておりますが、遠い昔のことなので定かではありません 団体戦は1複6単と7番勝負でした。しかも21本3ゲームマッチでしたから、ラストまでいくと、試合時間は軽く2時間を突破していたと思います。 7試合ありますが、ダブルスとシングルスは重複で出場しますし、シングルスに2点出るエース制でしたので、シングルス1点で出場する選手を2人を合わせてレギュラーは5名でした。 当時、全道では「道工」その後は尚志学園となり、現在は北科大高と校名は変更しておりますが、まさに最強軍団でした。 名将有賀先生が率いており、田中選手、東選手が活躍して、全国3位に入賞しておりました。 その後も吉田雅己選手のお父さんと、横山選手が活躍した時も全国3位であったのではなかったかと思います。 対抗は日大白老で団体戦トップでダブルスに出場したのが… 荒木·武藤組です。(笑) 北海道で卓球に関わっていてこの2人を知らない人はいないでしよう。 ファイナルウインの荒木監督と、日高ジュニアの武藤監督です。(笑) 荒木さんは左シェーク、武藤さんはペンドラです。 この頃はまだ公立高校にもワンチャンあった頃で、名寄地区の稚内高校も全道3位となったり、和寒高校の女子は全道優勝したこともありました。 和寒高校は男子も強く、今は和寒町長となっている奥山選手はジュニアで北海道代表となりましたし、同じくジュニア代表の白川部選手はその後、同じ職場の長原選手とのダブルスで北海道卓球選手権、私達の言うところの「硬式」で優勝しております。 私が3年生時の名寄地区予選は「稚内市」でした。 激闘の準決勝では、地元稚内高校にラストでエースの菖蒲(あやめ)選手が勝利して、決勝の和寒高校では0-4でぽこられたことを今でもはっきりと覚えております。 敗戦が決まる4番に私が出場して、やはりジュニア北海道代表の三木選手に軽くあしらわれてしまいました。(苦笑) 三木選手はヤサカファントム007(ジェームスボンドか笑)を角ペンに貼り、粒高ブロックをすることなく、ペン表の技術、戦術をそのまま粒高にして戦うスタイルでした。 現在の粒高の戦術がまだ浸透していなかった頃のお話しです。粒高ラバーが発売されて3年目ですか(笑) そんなこんなで(雑なはしょりかたですね)なんとか名寄地区予選を突破しました。 代表2校で、決勝戦で負けたチームは、準決勝で優勝チームに敗退したチームと2位、3位決定戦となります。利尻高校に4-0で勝利しました。 しかし、なにより驚いたのは、全道大会が名寄市だったことですですかねえ~ 地区予選は3泊4泊なのに、全道大会は三日間日帰りかいっ!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 29, 2024 06:03:34 AM
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