ジージの南からの便り

2021/01/09(土)19:05

今年も元気に「上町五社(鹿児島)」詣りができた。

我が家の行事(93)

 誕生日の1月5日、恒例の上町五社(鹿児島五社)詣りを始めて5年目の今年も、妻と出かけた。 近所のバスの終点からバスに乗って、昔住んだ清水町バスで降車して、南方神社(諏訪神社)を振り出しにそこから歩いて約1時間30分かけてまわった。  五社のめぐり方としては南方神社、八坂神社、稲荷神社、春日神社、若宮神社の順だといわれているので、また元の神社の前を通ったりするのだが、毎年決められた順番でまわるようにしている。  上の写真の南方神社(みなかたじんじゃ)、諏訪大明神、お諏訪さあ とも呼ばれている鹿児島五社の第一。島津氏初代惟宗忠久が11歳にして副将軍を命じられ奥州の藤原泰時を討ったとき、信濃国諏訪大明神に祈願して勝利を得たことに因み、5代忠久が諏訪神社を総社として山門院に勧請。さらに6代氏久が康永2年(1343)頃に東福寺城を居城として鹿児島を府城の地と定めたとき、現在地に本府の総廟 として遷座したものといわれる。 今年は企業のお詣りのために、本殿前にたくさんの椅子が用意されていた。  八坂神社は祇園社とも言われる。鹿児島五社の第二。 現在でも八坂神社の祭りは「御祇園(おぎおんさあ)」と呼ばれ鹿児島の夏の大きな祭りになっている。  ”番外"  八坂神社の隣接地にある「石橋記念公園」 鹿児島市の中心を流れる甲突川には、上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の五つの大きなアーチ橋がかかっていた。この五石橋は、江戸時代末期に城下整備の一環として肥後の名工・岩永三五郎によってかけられた。しかしで、平成5年(1993)8月6日の集中豪雨による洪水で武之橋と新上橋が流失。残った3橋を貴重な文化遺産として後世に残すため石橋公園が整備され、ここに移設保存した。 桜島をバックに写したのは、その中の一つ高麗橋。  稲荷神社(旧郷社)。鹿児島五社の第三。 私の母校清水中学校のちかくにあり、後の山には清水城の山城があった。  春日神社。鹿児島五社の第四。 ここは昔は海で港があった。  若宮神社。鹿児島五社の第五。 近世までは「若宮八幡宮」と呼ばれた。  参考資料 「あるく みる いこう かんまち本」その一

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