ジージの南からの便り

2022/07/03(日)06:46

遣唐使の物語、安部龍太郎著「迷宮の月」を読む

日本の歴史(5)

 日本と中国大陸に跨る壮大で大変面白い小説だ。私も最近になく3日で読み終わった。 最近私たちの高校の同期会「八期通信」のメール交換では、関東に住むNSくん、関西に住むKBくん、それに鹿児島本部の編集長である3人を中心とするちょっとした「古代史ブーム」が到来している。 「薩摩の歴史」一辺倒の私とは異なり、もともとこの3人は古代史にも造詣が深いということは、これまでの交流で私も知っていた。 そういうメールのやり取りの中で、先ずNSくんがKくんに「迷宮の月」を送ったのがきっかけで、私の妻も古代史や中国・朝鮮の歴史の本を読んでいると知ったNSくんから我が家にも「奥さんに送るので、その後クマタツさんも読んでみてください」ということで「迷宮の月」が届き、KBくんにも送ってくれたそうだ。我が家でも妻が読んで、その後私も読んだのだった。 前記3人の間では、その「迷宮の月」の読後感など行き交う中で次の段階ではどの本を読んだらいいかなど盛んに情報がいき交っている。 それによると、時代の順番でいけば、いずれも安部龍太郎の「姫神」「迷宮の月」「平城京」。 その他では井上靖の「額田女王」、松本清張の「壬申の乱」「神々の乱心」上下、「琉球王国 高良倉吉」、海音寺潮五郎の「大化の改新」、津本陽の「則天武后」上下などが面白いそうだ。 私もやっと「迷宮の月」や井沢元彦の「日本史の叛逆者 私説・壬申の乱」(これもNSくんが送ってれた)を読み終えて俄然面白くなってきたので、次にどれを読もうかと食指が動き始めたところである。  前書きが長くなったが、「迷宮の月」のことである。 遣唐使を命じられたのは大宝元年(701)、粟田真人(あわたまひと)は、この物語の主人公であり、第八次遣唐使の最高責任者の執節使(しっせつし)である。普通は遣唐使の長は大使とよばれるのだが、669年以来33年ぶりの今回は日本と唐の国交を回復するするための重要な使節なので、大使、副使の上に執節使をおいて、対外外交の権威である真人が任じられたのである。真人は14歳の時、達観という出家として唐に滞在したことがあるが、帰国後事情があって還俗する。 同行者の一人には秘書として後に万葉歌人として名を馳せる山上憶良や真人の娘の婚約者で4号船の船長である阿倍船人もいた。  今回の遣唐使の真人は朝廷一の実力者・藤原不比等から日本と唐との国交回復という密命を受けて、420人という使節を引き連れて4艘の船に分乗し荒波を超えて中国を目指したのだった。その荒波など天候に左右されて出港できたのは702年、その約40年前、日本の天智天皇は唐と新羅に滅ぼされた朝鮮半島の百済を再興させようと4万人の兵を送ったも白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗を喫していた。 それ以降、日本は唐との外交関係を絶っていたのだ。 遣唐使のミッションは二つあり、一つは、唐との国交回復をすること、二つは、唐の優れた制度や仏教などの教理を学ぶため留学生や留学僧を送り届けることであった。  しかも大国・唐から朝貢外交を当然とする姿勢はともかく、外見上は唐と対等な立場としての条約を締結しなければならないという難しい使命を帯びていた。 中国の大周の楚州塩城権に到着したが、そこは唐の統治下にはなく、女帝・則天武后を皇帝とする武周朝となっていた。 そこから則天武后のいる長安までの道のりも接待役で個性的な宦官などに騙されたりの苦労がある。 しかし、悪人もいれば善良な人のいるのもこの世の習いで、真人も命にかかわるような仕打ちを受けながらもミッションを果たすべく一歩づつ進んでいく。そして雲上の麗人・太平公主との艶めいた接点もあり王宮の奥で妖しくも美しい月を見るのだった。まさに「迷宮の月」である。  全体を通じて感じたことは、対外関係なかんずくアジアにおける中国との関係は昔も今も大きくは変わらないということだ。歴史を知ることで現代を知ることができるというのが実感である。  真人は、朝一番の仕事として「遣唐日誌」を書いていた。帰国したとき、朝廷に報告する義務があるので、覚書を残す必要があったのだ。もう一つ真人の文がある。それは一人娘の真奈にあてた文を書き執節使になった自分の胸の内を包み隠さず書き記しておくことにしたからだ。それは万一遭難して命を落とすことになった場合でも、重要書類や日誌、貴重な経典などは防水性の高い櫃に入れて海を漂わせることになっていた。 その二つのものが随所にまとまった形で書いてあるので、読者としても頭の整理になって、助けられた。 これを機会にもうひと踏ん張りして、日本、中国、朝鮮の古代史にも挑戦しようと思う。

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