|
カテゴリ:競馬
競馬界の「帝王」が急死した。現役時代から「テイオー」の愛称で親しまれ、1991年皐月賞・日本ダービーを無敗の6連勝、5歳(旧表記では6歳)で1年ぶりに出走した1993年の有馬記念では、超劇的な復活勝利を果たしたトウカイテイオー(牡25)が繁養先の北海道安平町の社台スタリオンステーションで、30日午後3時すぎに急性心不全のために急逝したことが明らかとなった。1994年の10月に現役生活を終えた後は種牡馬として活躍しており、今年で25歳を迎えていた。
トウカイテイオーは、1988年4月20日に北海道新冠町の長浜牧場生まれで、父が1984年のクラシック3冠馬でGI・7勝を挙げた「皇帝」シンボリルドルフ、母が1984年オークスを制したトウカイローマンの半妹にあたるトウカイナチュラル。競走馬として圧倒的なパフォーマンスを見せた父にとっての初年度産駒でもあり、牧場関係者の間では生後間もない段階で「テイオー」の愛称で呼ばれていた逸話を持つなど、強烈なスター性と圧倒的な実力、さらにはダービー後から続いた骨折癖を克服しながらの古馬時代など、再三のドラマチックな走りでファンを熱狂の渦に巻き込み、オグリキャップの登場以来続く当時の「競馬ブーム」をけん引した。 同馬は、1990年12月1日の中京競馬で、栗東・松元省一厩舎からデビュー。芝1800mの新馬戦では安田隆行騎手(現調教師)を背に4馬身差で圧勝すると、2戦目のオープン特別・シクラメンS(京都・芝2000m)、年が明けて3戦目の若駒S(京都・芝2000m)を2連勝し、父ルドルフの産駒としても話題となり、クラシック有力候補に躍り出た。4戦目の若葉S(中山・芝2000m)で初めて関東圏へと参戦し、ここでは最後は抑える余裕を持って2馬身差の完勝を決めた。 迎えた1991年4月14日のクラシック第1弾の皐月賞では、堂々の1番人気に推され、大外枠からレースの流れに乗ると、直線半ばで一気に抜け出してデビューから無傷の5連勝を達成。嬉しい初めてのGIタイトルを手にした。2着以下は追い込み各馬が占めた中で、堂々たる正攻法でライバルをねじ伏せた走りは、1馬身の着差以上の強さも垣間見せた。 2冠を目指した5月26日の日本ダービーでは、皐月賞までに見せた圧巻のパフォーマンスから単勝1.6倍の断然の1番人気に推されると、レースでは大外20番枠のピンク帽が4コーナーを大外から唸るような手応えで回って早々と3番手へ浮上。残り400mで楽々と先頭に立ち、2着以下を3馬身差ちぎって無傷の6連勝とともに、クラシック2冠を達成した。 しかしレース後に、「左第3足根骨骨折」を発症。年内一杯の休養、同時に3冠挑戦の夢が断たれてしまったが、「無敗の2冠馬」として圧倒的な存在感を見せたことで、1991年度年度代表馬に選出され、同年のJRA賞は総ナメだった。 骨折休養を経て、翌年の4歳春・大阪杯から岡部幸雄騎手を背に戦列へ復帰し、古馬初対戦のこのレースでも1.3/4馬身差で完勝し、戦歴は7戦無敗に。 そして、迎えた天皇賞・春は、稀代のステイヤー・メジロマックイーンとの直接対決は、戦前からヒートアップ。テイオー岡部騎手が大阪杯を完勝した感触から「地の果てまでも走れそう」と話せば、マックイーン武豊騎手は「こっちは天まで昇りますよ」とコメントするなど、最強馬対決を大いに盛り上げた。 ただ、レースでは2番人気のメジロマックイーンが完勝したのに対して、1番人気に推されたトウカイテイオーはいつもの伸び脚がなく5着に敗退し、デビュー初黒星を喫した。このレースの10日後には、「右前脚剥離骨折」が判明して宝塚記念も棒に振る形になり、2度目の骨折休養を余儀なくされた。 11月1日の天皇賞・秋で復帰を迎え、1番人気に推されるも7着に沈み、デビューから初めて掲示板(5着以内)を確保できなかった。叩き2走目、11月29日のジャパンCは、強力な外国馬が参戦してきたこと、前走での惨敗を受けて5番人気に留まっていたが、1年半前のダービーと同じ8枠のピンク帽が4コーナーを唸るような手応えで回り先団へと取り付くと、残り200mで先頭に並んで残り100mでは先頭に立ち、父シンボリルドルフとともに同レースの「父子制覇」を成し遂げてみせた。続く有馬記念はファン投票1位、1番人気で迎えたが見せ場なく11着に敗れた。 5歳時は、宝塚記念を目標に3月に放牧先から帰厩したが、レース直前に「左前トウ骨の剥離骨折」を発症し、これで3度目の骨折休養を余儀なくされた。これにより、復帰は年末の有馬記念にずれ込み、実戦も丸々1年364日ぶり。この臨戦過程では、誰もが厳しく思うのも当然の状況下でもあり、4番人気の支持に留まったのも当然だった。 ところが、レースでは好スタートを切ったトウカイテイオーが、道中から惚れ惚れするような行きっ振りを見せて好位集団の直後を追走すると、勝負所の最終4コーナーでは、あの唸るような抜群の手応えで3番手まで進出。直線半ばで逃げ込みを図る1番人気ビワハヤヒデを捕らえると、残り100mで見事に差し切ってみせ、ファン・関係者の誰もが驚いた「奇跡の大復活」は、あまりに有名なシーンとなって、劇的なGI4勝目を挙げた。 この勝利で6歳シーズンの現役続行が決まったが、天皇賞・春を目指す過程で筋肉痛や、前年に痛めた「左前トウ骨」を再び骨折してしまい、実に4度目の骨折休養に入り、結局そのまま引退となった。 引退後は、父シンボリルドルフの後継として種牡馬入りし、産駒のトウカイポイントが2002年にマイルCSを制覇、牝馬ヤマニンシュクルが2003年に阪神ジュベナイルフィリーズを制したが、サンデーサイレンスやトニービン、ブライアンズタイムら輸入馬による種牡馬レベルの大幅アップの時代背景も重なって、現役時代の印象からはやや寂しい成績に。とはいえ、近年は母父の欄に「トウカイテイオー」の文字が入るケースも見られるようになっている。 レース以外の部分でも、いわゆるイケメン顔や立ち姿が大変美しかったことでも有名で、同馬の追っかけファンも数知れず。大勢の競馬ファンから愛された、1990年代初めの競馬を代表するスーパーホース・「テイオー」がこの世を去った。 【プロフィール】 ◆トウカイテイオー(牡25) 騎手:安田隆行・岡部幸雄・田原成貴 厩舎:栗東・松元省一 父:シンボリルドルフ 母:トウカイナチュラル 母父:ナイスダンサー 馬主:内村正則 生産者:長浜牧場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.08.31 13:09:25
コメント(0) | コメントを書く
[競馬] カテゴリの最新記事
|