マイペンライ

2004/10/31(日)09:37

アメリカが育てたアフガン帰りというテロリスト タイ南部、テロへ

世界あれこれ(81)

アフガン帰りのエリートたち テロとの戦いと大統領選で盛んに言われている、しかしこのテロリストはアメリカがアフガンで育てたものなのだ、自分で育てた飼い犬に手をかまれてしまったのだ。 アフガニスタンにソ連が1979年に侵攻した、その当時のアメリカはベトナム戦争に用に泥沼化をさせてやろうと計画をした、アメリカは他の国などと組んでイスラム教徒たちを義勇兵として育てた、 1989年にソ連がアフガニスタンから撤退した、アフガニスタン帰還兵はベトナムみたいに麻薬中毒になったりした、そしてソ連が崩壊した遠因の一つにもなった、 一方のこの帰還兵も中にはお尋ね者がいたりした、この帰還兵が母国に帰ると反政府組織に入り各地でテロなどを起こした。このアフガン帰りの代表的な人物はビンラディンである アフガニスタン帰りで代表的な事件はビンラディン率いるアルカイダが行ったとされるアメリカの同時多発テロだけがエジプトのルクソールでの銃撃事件ではアフガンの義勇兵の関与したとされる、またフィリピンのアブサヤフやインドネシアのjiなどのテロ組織などはアフガン帰りにより作られたりアフガン帰りにより活性化した、 このアフガン帰りによって各地にテロの種をまいてしまった、テロとの戦いということを大統領候補が叫んでいるが 自分がまいた種を反省していない。テロの原因は何かというようなことを分析をしてその対策を打たなければいけないのにテロリストと戦えばいいと思っている国なのでテロというもの事態がこれからも続いていくと思われます タイ南部で大騒乱 タイ南部というのは昔からタイの火薬庫である、ここは住民の大多数がイスラム教徒が占めている、この地域は昔はサルタンの支配地域であった、しかしアユタヤ、シャム(タイ王国の前の王朝)などの圧力を受けて朝貢を余儀なくされた。 その後イギリスのマレー半島進出でタイの独立を維持するためにマレー半島北部のイスラム教徒の地域の大部分を放棄した一部でイスラム教徒のパタニー王国が残ってしま(今のイスラム教徒が多く住む地域)った。この地域は過去にもタイからの独立を求めて爆弾などのテロ行為をおこなった、 10月25日にタイ南部で逮捕された6名のイスラム教徒の釈放を要求して1,500名ほどのデモ隊・群集が警察署に押しかけた。これに対し、軍・警察が発砲し、少なくとも6名が死亡し、20名程度が負傷したという発表があった。 パタニ県の陸軍基地で78名の死体の検死を行ったと、検死官のポーンティップ博士が記者団に語った。彼女によれば死因は死者の80%は窒息死であり、その他は圧死などと見られるとのことであった。 この地域は1990年代などは爆弾などテロが影を潜めて平穏になっていた、しかしタクシン首相が昨年APEC前に訪米し、ブッシュ大統領に会い、タイの「テロリスト」・イスラム過激派征伐をすることを要請され、二つ返事で帰国してからである。 シンガポールからの「情報」に基づいて、ジェマー・イスラミアのシンパを割り出し、逮捕したことに端を発する。タクシンとしてはさらにイスラム教徒の「分離独立運動」などを暴き出し、これを徹底的に弾圧することで国民の支持を得ようとした。そのためにイスラム教徒との対立が起きてしまっている、 対人の95%ほどが敬虔な仏教徒でありイスラム教徒事態を嫌っている、そのために政権浮揚にイスラム教徒を利用しようとしたのではないのだろうか、それが裏目に出てしまいタイが不安定になっている、 今年の1月には軍の武器庫(与党TRTの国会議員たちによって企画されたというという疑惑もある)が襲われ、また4月には若者が警察を襲撃し100人以上が死亡している、また僧侶が襲われたり市場に爆弾が仕掛けられるなどの治安の悪化が続いている、 また分離独立派のパッタニー統一解放機構(PULO)が28日、バンコクへの攻撃も示唆した報復声明を発表した。バンコク自体はカンボジアあたりから連れてきた少数民族が住み着いている、そのためにタイ南部からテロリストが入り込みバンコクで爆弾テロをおこなうことも考えられる、 もp氏爆発などが起きてしまうとタイが危険なイメージがもたれてしまい観光産業が大打撃を受けるであろう

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