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下書きを終えているんだけれど、どうも自分の中で、煮詰まっているような感覚を抱いている緋褪色です。のりのりで書ける時もあればそうでない時もあるんだね。
そうだな、簡単に言えばイメージが湧かない感覚なんだ。 自分は意地っ張りだから弱い部分も、凹んでいる部分も一切人に見せたくない。なので皆私の本性も知らないよ。身近な人間以外はね。 人の良い部分をたくさん知っている。反面恐ろしさも知っている。ねぇ、私はどちらに比重を置き信じ抜けばいいのだろうか。人は裏切ると知っていながらも、信じ抜き守り通していかなければならないのだろうか?それは何のために??誰か私に明確な答えを頂戴! 昨日起こった凶悪事件。神様、貴方はあんなクズの人間ですら、生きる権利があると申されるのだろうか?多分、緋褪色は20代の頃よりずっと寛容になった。だけどね、理不尽な出来事を許そうなんて寛容する気は米粒ほどもないよ! 他者の生きる権利を、理不尽で下らない唾棄すべき動機で奪った人間に、未来を与えられますか?自身の信じる神よ!理不尽を許し、祈りを捧げ貴方を信じ抜いたならば、殺められた人々の魂に、来世光り輝く未来が待ち受けると断言して下さいますか?どうか答えて! 人が生きるために殺める行為など必要ないでしょう?命を授かり途中で死に直面した自身には、信じられないほどの凶行だというのに。仏は殺めた側の人間にも仏心があると申されるのだろうか? 「難来るを以て安楽と意得可きなり」御義口伝のこの言葉は誠なのだろうか?絶対の確信が無ければ吐けない言葉。何を根拠に?宗祖は述べたのだろう?? 私は凡夫。いつまで経っても愚かなままだ。だけど人としての最低限のモラルは知っているつもりだ。難が人を強くするのも知っている。成長に繋がるとも理解している。だけど凶行をおこなった人間に魂の救済はいらない筈でしょう? 出来る事ならその愚か者の首を、真綿で締め上げてしまいたいくらいだ!いや、腐りきったその眼(まなこ)に、そして指の先端に、鋭利で真っ赤に焼き上げた針を突き刺してやろう!それほどの罪だ。拷問?違うよ!そいつに対して拷問じゃなく命を奪われた人間の報復だ! 緋褪色はね、日々人を殺める想像をして、精神の安定をしてるのさ!意外?そんなのあなたが勝手に作り上げたイメージのくせに。緋褪色は残虐女ですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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