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カテゴリ:思うこと
最近は非常に寝つきがいい。 というよりも日頃の生活バランスが崩れているからこそそんな風に思うのかもしれないのだが、どうにもベットに寝転がってから寝るまでが異常に早くなっているような気がする。確かに疲れていると言えばそうなのだが、しかし眠たくなくてもベットの上で転がっていればすぐに寝てしまう。これはいいことなのだろうか?それとも堕落しているだけなのだろうか? 人間の睡眠は波のようなものだという話を聞いたことがある。朝起きられない人が多いのは睡眠時間が足りないからではなく、睡眠の波に合った時間寝ていないからだという考え方らしい。なんでも睡眠の波は1時間半周期であるらしく、1時間半周期を目処にして眠れば起きる時には爽快に起きられるらしい。つまりは1時間半・3時間・4時間半・6時間というように睡眠時間を調整すればいいというわけだ。まぁしかしながらそれも中々難しいものだ。時間があればその時間を精一杯使って寝たいというのが人間の心情であるし、疲れている時は尚更だ。これは寝すぎるといけないという教えなのかもしれないと解釈すればいいのだろう、あくまで私的な解釈なのだが(笑) 京都の夏の風物詩として有名なのが川床だ。私自身が京都に住んでいるからかもしれないのだが、この川床なるものがどれほどの知名度を持っているものなのかよくわからない。なので簡単な解説をつけるとするならば… 川の上にベランダチックなものが出ていて、そこでお酒を飲んだりご飯を食べたりするものとしか言いようがないのだが、知らない方はこれでわかってもらいたい(笑)お粗末な説明なのだが、これ以上に素晴らしい解説を生憎と持ち合わせてはいないので、これで納得していただきたものだ(笑) この川床の一番の楽しみ方は、やはりそこでご飯を食べながら花火を見ることに尽きる。それは私の中では大人の楽しみの一つとして長い間あるもので、それでいて中々達成されない夢でもある。願わくばこの川床でご飯とお酒を楽しみながら花火を見たいものだ、好きな人と二人で♪ いつ叶うかは不明だが(苦笑) この川床というものは、京都市内でも比較的有名な鴨川に近いところにあるのだが、しかし鴨川に近いということはそれ即ち規制が強いということだ。 最近鴨川で花火をしてはいけないという条例が出来た。それは川床で楽しんでいる人の邪魔になるだとか、川の美化において多大な迷惑を蒙るだとかそのような理由だったと思う。確かに私の中でも鴨川は花火をしてわいわいがやがやするところではないという認識だ。デートスポットであるのだが、それはひっそりと二人っきりで過ごすという前提であって、騒いでいいというのは違うような気がする。 そのように環境保全に非常に煩い京都がまた新たに打ち出した条例というのが、川床に関するものだった。それは川床を一定以上鴨川に近づけてはならないというものだった。見た限り川床というのは鴨川からだいぶ近いところにあるのだが、しかしそれでも角度にして45度くらいの位置にあるという認識だった。その条例が出来る前というのは様々な川床が存在していて、その出っ張り具合も店によってまちまちだった。今回の条例はその川床の出っ張り具合を一律にしろというものだった。しかしこれに関しては疑問に残るところがある。 それは、何故出っ張っていてはいけないのかということだ。前述の花火の件とこれは全く違うフィールドの問題だ。出っ張っていて不具合があるところなんてひとつもないように思える。迷惑をかけるのかもしれないが、それはあくまで川床の下にいる人達が景色が見えないという些末なものである可能性が高い。そればかりは川床の本質が問われる問題なので、その点に留意して条例が出来たと仮定するならば、その存在自体を無くす方向に話がいくような気がするが、そこまではいっていないことを考えるとやはりその点での条例だとは考えにくい。 川床は京都の風物詩だ。それが何かにおいて迷惑をかけているとすればそれは是正しなければならないことなのだが、しかしそれはとても考えにくい。あの上でお酒を飲んだりご飯を食べたりしながらしっぽりするということが夢な私としてはやはり川床はあるがままに存在して欲しいと思う限りだ。 何事も条例で縛るということはよろしくない。迷惑がかかっている者通しの話し合いで解決するのが世の常なのだが、それも難しい世の中になっているのかもしれない。この条例の真意はわからないのだが、しかしこれは強い力で縛っておけば文句は出ないだろうという負の体質を体現しているようで、少し悲しくなるものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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