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Jul 15, 2009
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カテゴリ:考え事



生まれの差はどうしようもない。



最初に断っておくが、今回の内容は特定の誰かを誹謗中傷するような内容ではない。そうとられることのないように細心の注意を払うつもりではいるが、もしそのような方が出てきた場合には、素直に謝罪するつもりではいる。要するにそれだけナイーブな問題だということだ。人の心は様々、沸点も様々なのだから。

生まれの差と書いたが、これは上流家庭かそうではないかという意味ではない。自分がどこに生まれたかということ…即ち、生まれが都会か田舎かという点になる。こういう展開をしてしまうとどうしても都会と田舎の定義の差を明確にしなければならない為、ここでの都会と田舎の定義の差を明確にしておくことにしよう。ずばり、コンビニがあるかないか、だ。コンビニがあるところは須らく都会であり、ないところは須らく田舎だということにしよう。少々ラディカルかもしれないが、他の項目よりもわかりやすいだろう。これ以上ないと言ってもいい。

都会で生まれた人は、勿論実家も都会だし、それから物心つくまで都会で暮らすことになる。欲しいものはある程度は手に入るし、少々の苦労で賄うことが可能だ。実際、本なり玩具なりを欲しいと思っても、すぐに手に入る位置にあることが多いだろう。
その点田舎は苦労する。何しろ何もないからだ。あるものと言えば自然だけ、山や川や海があるが、子どもの頃なんてそういうものの本当の価値なんてわからない。子どもの好奇心を満たしてくれるようなものではない。よって本なり玩具なりが欲しくなると、遠くの町まで出かけていかなければならなくなる。必然的に、自分の力を超えた移動となり、機会は都会の子どもの半分以下になるだろう。だから田舎の子どもは自然に楽しみを見出す。虫取りや素潜りなんかは、田舎の子どもならやったことない子はいないくらいだろう。

上記より、子どもの視点では都会の方が有利なように思える。多感だからこそ様々なものに触れる機会が単純に多いことに魅力を感じるはずだ。では大人ではどうだろうか?


大人の場合になると、子ども以上に様々な要因が影響してくる。
まず仕事の面で言えば、圧倒的に都会が有利になる。仕事の数なんて田舎の数十倍といってもいいくらいの差があるし、企業や商社の数、競争の発生、人口の増加などの多種多様な要因が影響しての地価の上昇。それによる賃金水準の上昇。反映される給料。これだけ見ても都会の方が仕事をするには良いことがわかるだろう。
それに比べて田舎はどうだろうか。田舎の仕事の数は本当に痴れている。せいぜい両手の指で足りるほどしか選択肢がないところもざらだ。実際私の地元も田舎なのだが、仕事の種類なんて明確にわけてしまうと10もない。そんな中で仕事を探すのは至難の業だ。


こうしてみてしまうと、田舎は価値が薄いように感じられるが、そうではないことは大人になればわかる。何もないことが価値あることだということは、きっと都会の人よりも田舎の人の方が感じることが多いだろう。生まれてずっと全てが身の回りにある人にはわからない感性が田舎の人にはあるように感じる。
例えばそう、都会の人はよく「田舎はいいなぁ」と言う。それは単純に気ぜわしく動くことに対する逃避の言葉であるが、田舎の人からすればそういう言葉は結構世間知らずに聞こえるものだ。田舎だって手放しで楽でのんびりしているわけではない。見えない…本当に水面下では困窮しているものだ。ただそれが見えない故に、田舎は楽なところに思えるのだ。そういう浅はかさを感じることは、都会の人は多分ないだろう。基礎が違うと言っていい。同様に、田舎の人が都会に行きたいとよく言うが、田舎の人も都会の辛さや苦しさがわかっていないことも多々ある。実際私のように田舎から都会に出てきた人はそう思うことも多いだろう。気ぜわしさがぜんぜん違う。


田舎がいいか都会がいいかは、結局はその人の感性に合致するか否かが大きい。のんびりするのが好きなら田舎だし、都会でパワフルに働きたければ都会だといったようなところだ。その状況を許容出来るかどうかが鍵だ。性分にあっていないところは結局は自分には関係ないところだし、あまり良い印象を持てないことだろう。それは悪いことではない、それこそが生まれの差なのだから。
ただ、私は生まれが田舎で良かったと思う。それによって得たものは計り知れない。比較出来るということはきっと幸せなことだと感じる。それは誰しもが感じることが出来る感情でありながら…少数の人しか気づかない価値ある感情なのだから。












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Last updated  Jul 31, 2009 04:38:17 PM
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