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カテゴリ:考え事
本を読まない日は殆どない。 秋には様々な呼称がある。例えば食欲の秋だったり、スポーツの秋だったり。その中でも、読書の秋という言葉を聞く度に、日本の読書習慣の無さを感じる。 多分、文字を読むことにそれほど抵抗の無い人というのは、抵抗のある人に比べてマイノリティであろう。その事実は大いに納得出来る。文字というメディアから自分自身の脳で考え、昇華するという行為よりも、直接視覚的に楽しむメディアの方が単純で受け入れやすいからだ。しかし物事を多角的に捉える上で、脳で考え昇華するメディアの方が無限の可能性を持っている。例えばそれは小説の中に出てくるキャラクタのようなものを想像してみるとわかりやすい。 小説に出てくるキャラクタは、勿論その外見的特徴を文字の上で表現することは可能でも、視覚的に認識することは出来ない。つまり、そのキャラクタがどのような性格で、どのような外見的特徴であろうとも、読む側の想像によって人物像は構成されることになる。故に、似通った認識を持っていることはあろうとも、同一の人物像を形成することはほぼ考えられない。だからこそ楽しめるものである。 それに比べて視覚的に認知されるものは、既に与えられたものに対しての評価であり、積極的な評価ではないということになる。楽しみを見出すとしたらその後、つまり蛇足的に与えられる境界条件を鵜呑みにするという前提が付与される。それは面白いかもしれないが…積極的ではない以上、不満が介在することも否めない。 と、抽象的な問答になってはいるが… 本は面白いということだけははっきりさせておきたい。活字離れなんてさびしい限りだと思うのは私だけではないはずだ。本が本来与えようとしている内容が10でも、捉える側によっては20にも30にも出来る、それが魅力だと思っている。それによって今の私があるといっても過言ではない。 今日は短いがこれくらいにしておこう。まだまだ以前のようなノリは戻ってきそうもない。今回の内容は、準備運動的なくらいに捉えて頂ければ幸いだ(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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