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Sep 1, 2010
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カテゴリ:普通の日記



冬子の考え方には大いに賛同出来るところではある。



さて、9月が始まった。この時期になると暑さも一段落といった様子になりがちだが、今の時期ではそれも見込めないだろう。8月と遜色ない暑さが今日も朗らかに外界には展開されている。それが夏の暑さの余波なのか、それとも9月という秋の入り口を感じさせる感覚への変遷なのか、それはまだこの暑さの中では感じ取る手立てはない。8月から9月へのシフトは、それだけで何かを感じずにはいられないというものだ。ましてや物思いに耽ることの多いこの季節は。



仕事をしながら空いた時間で少し考え事をしていた。外の空気は昼間だということもあってか、かなり厳しいものだと思われる。涼しい室内の中ですることもなくのんびりと考え事をするというのは或いはとても贅沢なことなのかもしれない。すぐ目の前に仕事があるのはわかるのだが…取り敢えずそれは置いておいて思慮に身を投じる。


個の価値はどこにあるのか。人はそれを人としての身体そのものにあると言う。しかしそうではない。個の価値は思想にある。ある1つの物事が目の前で発生したとして…それに対してどのような感情を抱くか、それは似たりすることはあっても完全に合致することはありえない。それはその物事に対する考え方がそれぞれ異なるからだ。例えば目の前で犬が死んだとしよう。それに大して大部分の人は悲しむだろう。その犬と自分との客観的な距離や背景、そして現在の犬の姿を見て考え方を構築し、それが感情に投影される。死は悲しい、その圧倒的大多数とも思える感情によって人は個の喪失を悲しむ。しかし全ての精神がその思考回路によってトレースされるかと言われればそうではない。極端な話をすれば、目の前で犬が死んだとしても、それを見て笑う人もいるかもしれない、怒る人もいるかもしれない。感じ方は多種多様で、上述のような感情のうねりを考慮すれば無限大とも思える反応を示す。それらの反応を身体という物理的なシールドで守り、精神を包括した存在が人であり、ひいては個であると判断することが可能だ。
喪失による価値は個の身体のような物理的なものではない。同じような体格や能力を持った人なんてそれこそごまんといる。しかし如何に同じような身体を有していても同じ精神構造を持った人間はそういない。精神構造はパズルのように容易に構築することが出来ないものだ。そしてその精神構造からアウトプットされる生産物が考え方であり、反応でもある。予想も出来ない反応を示す可能性が価値であり尊いとされるものだ。貴重な個はこうして身体へと投影され、その人そのものが大切であるという判断へと帰着する。故に偏に人が尊い存在だという評価は身体を透過した考え方や精神の及ぼす「生産物」に起因していると言えるだろう。


個が喪失することを悲しく思うのは、その人と触れ新たなものを得ることが永劫ないことから派生する肉体的且つ精神的な喪失と同義だ。映像として個を保存することは可能で、いつでも取り出すことが出来る。人によっては個の喪失の悲しみをそのような形で補填することが可能だ。しかしそうではない人の方が多い。つまりは個から得られる情報がもう得られない、その喪失した未来へのベクトルに並行する精神的価値を尊び、そして悲しむことになる。肉体的なアプローチが出来ないことも要因としてはあるかもしれないが、それは些細なことだろう。人が当たり前にしている会話などもまた精神的に得られる効用の大きさは計り知れない。自分という器に注がれる新たな価値観として大変貴重なものだからだ。その距離がより近しいものが恋愛であり、そして結婚であると思われる。



つまり結婚とはより自分に近い存在を得るというメリットと、より近しいものを喪うデメリットを交換した副産物だということだ。しかしそれは非常に有用なものだ。となると…個の喪失と恋愛関係は精神構造に大きな影響を与えるという意味では同義ではないだろうか。




そんなことを考えていた。まぁ仕事の片手間に考えることとしては些か不謹慎な内容だっただろう。気がつけば次の仕事の時間が迫っていた。胸のポケットからペンを取り出してくるくると回しながら私は次の仕事へ向った。秋の気配のする午後、のんびりとした時間の流れる水曜日の出来事だった。













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Last updated  Sep 1, 2010 09:49:40 PM
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