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カテゴリ:くだらない話
今日はかなり冷え込んだ。 冬であろうとなんであろうと、私はスーツの上に何か着ることが極端に嫌いだ。それは特段理由があるわけでもないが、何故だか酷くおかしなことをしている感覚に襲われる。 だがその決意が揺らぐことが1年で2ヶ月だけある。それが1月と8月だ。冬になっても私の防寒具は、スーツにマフラーだけだし、夏になっても、スーツの上着とネクタイを外すことはない。これは1つの決意のようなものだ。仕事場に行くのだから、だらけた格好で行けるわけがない。宛ら戦闘をしに行くようなものだ。夏はそういう理由で絶対に上着とネクタイは外さない私だ。冬も同様に、寒さに負けていられないのだから上着は着ないという理由なのだが・・・本当のところを言えば、私の生まれたところはもっともっと寒かったことに関係している。生まれ故郷の寒さに比べたら関東の冬なんて大したことはない。まだ上着を着なくても大丈夫だなと思っているうちに冬が終わるというようなことを繰り返している。その結果、周りからは我慢強い人だなどと称されることになっているようだが…恐らく半分くらいは揶揄が含まれていることだろう。まぁ別に気にはしないが(笑) さて、本題へ。 私の苗字は珍しい。 珍しい苗字の人がどれだけいるのかはっきりした数字はわからないが、少なくともマイノリティであることは自明だろう。マイノリティであるからこそ珍しいのだ。音と響きが珍しくなくても、少ないというだけで珍しい苗字として扱われるのはなんだか不当な気がしないでもないが、まぁそこに拘っても現状は変わらないのでいいだろう。 名前を呼ばれることには1つの通例がある。それは苗字と名前を両方吟味した結果、特徴的なところを抽出するというものだ。例えば「田中花子」という人がいた場合、周りの人からどう呼ばれるかはわかりづらい。田中さんかもしれないし、花子さんかもしれない。それは悪い意味ではなく、名前に特徴性がないからだ。しかしながら、もしも苗字か名前に特徴的なものが含まれていた場合には、そちらを優先して呼ばれる可能性が高い。何を隠そう私がそうなのだ。 私の苗字は珍しい。個人的には名前も珍しいとは思うが、それでも世の中を見渡せば結構いたりする。なので名前が珍しいわけではない。しかしながら、苗字はどう考えても珍しいと思う。だからだろう、私は仲良くなった人でも名前で呼ばれることがそうそうない。苗字が珍しい分、呼ぶ時のポイントが苗字におかれてしまうからだろう。今に始まったことではなく、ずっと昔からそうだった。そのうち自己紹介をする時も苗字だけを言うようになってしまった。その方が記憶に残るからだ。 だからかもしれない、私は名前を呼ばれることにドキッとしてしまう。数十年苗字で呼ばれ続けてきたからだろう、名前で呼ばれると少々反応に困ってしまうことがある。以前働いていた職場でも、先輩が冗談で名前で私を呼んだことがあったのだが、その時もかなりリアクションに困ってしまった。抗体がないとはこのことだろう。 考えてみれば… 古い友人の中でも私のことを名前で呼ぶ人は片手の指で足りるくらいしかいない。しかもその友人とももう10年ほど会っていない。免疫が完全になくなってしまう期間として、10年は十分過ぎたということだろう。 きっと私と同じ感覚を感じている珍しい苗字の方もいらっしゃることだろう。あくまでマイノリティであることはわかってはいるのだが(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 26, 2010 06:54:46 PM
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