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カテゴリ:普通の日記
さて、5月だ。 物事の流れはそう簡単には変わらない。多少変化したような気がしていても、実は本質的には殆ど変化していないということがよくある。特に大局的な見地ではその動きは微々たるものだ。人の心理然り。 誰しもが平穏を望みつつも、心のどこかでは刺激的な「何か」を求めている。平坦で退屈な毎日は、ないものねだりの連続だ。それが変化を求める心の本質的なところなのだろう。何か面白いことはないか、いつもそのように思う反面平穏な毎日を享受する。そのようなジレンマの中に生活は成り立っているのかもしれない。 私は田舎生まれだ。しかもドがつく程の田舎だ。何もないことが当たり前の田舎で育った私に最初に生まれた刺激的な「何か」は都会への羨望だった。物で溢れる都会で都会的な生活がしたい。それが私の願いだった。 今となってはその願いが叶えられた。近くで何でも手に入るし、物には困らなくなった。だがその代わりにどうしようもない程の虚しさを感じている。本当にこれで良かったのか?最近私が自問自答する問いはいつもこれだ。都会には良さがあるかもしれないが、田舎には田舎の良さがあるのではなかろうか?最近は常にそのようなことを考えるようになってきた。 少し小難しい話になりそうなので本題へ。 5月の最初、ふっと忙しさの結晶から零れ落ちた雫のような連休が発生した。2ヶ月連続で連休のない私を気遣ってなのかどうなのかはわからないが、職場の先輩が配慮してくれたようだった。休みが欲しい欲しいとは言っていたが、いざ本当に休みが貰えると何をしようかということを全く考えていなかったので、私は少し躊躇った。もうすっかり単休に慣れてしまった体は、連休に対する用意が出来ていなかったのだろう。 休みは3日貰えるということだった。その前に夜勤があるので、併せれば4日弱の休みというわけだ。 ふむ… 考え出して結論は数秒で出た。実家に帰ることにした。 私自身が実家に対する思いがあるわけではない。実家はあくまで実家であるので、それそのものの本質的な価値はもう十分にわかっている。私がほんの数秒で帰省することを選択したのは、そこに義姉(予定)の存在がある。 以前にもブログでは書かせて頂いたが、私には兄がおり、その兄には彼女がいる。私よりも2つ年上の兄が見つけた彼女は私の1つ上の人だった。名前は怜さん(仮名)という。兄は私よりも圧倒的にモテる頻度が高い為、今まで様々な女性と付き合ってきた。私はその中の一握りの人しか知らないが、今の彼女である怜さんの評価は他の今までの彼女の中でも群を抜いて高い。その理由は幾つかある。 まず1つには美人さんだということだ。私と兄はよく似ているが、あくまでルックスだけをとるならば、私の好みにドンピシャだ。私ならば好みだったとしてもその人を射止めるような甲斐性もルックスもいい性格もないが、兄は見事にその人を射止めたというわけだ。全く我が兄ながら敵わないと再確認させられる。 そしてもう1つには性格がいいということだ。私はルックスもそれなりに見るが、最も重視するポイントは話しやすいかどうかというところだ。話しやすさは性格に起因することが多い故、怜さんの話しやすさはいい性格に起因しているということだろう。私のような出来そこないの弟にも優しく話しかけてくれて、何かと気を遣ってくれる。勿論一番は兄なのだが、兄の次くらいに優しくしてくれる。それが私には非常に好印象だった。 そんな義姉(予定)と初めて会ったのは1年ほど前に兄と3人でお酒を飲みに行った時だった。初めて出会うことになるのでかなり緊張していたが、その緊張はすぐに解けて1時間後には賑やかに談笑していた。私は女性に対してはある一定の線を引くようにしてしまう癖があるのだが、怜さんにはそれを感じなかった。恐らくそれは私と兄と怜さんの3人が同じ小学校に通っていたことが関係しているだろう。つまりは昔からの知り合いだったのだ。兄が私を怜さんに紹介する時も、怜さんは私のことを知っているようだった。同じ学校だからこその出来事だと言える。 そんなこんながあって、私は一気に怜さんのことが好きになった。この人が義姉ならば、きっと実家に帰ることが楽しみになるに違いない。そう感じたのだ。 だからだろうか、私が帰省を決意した時に一番に浮かんだのは兄と怜さんだった。地元に帰る楽しみというのもあるが、実際のところ兄と怜さんに会うのが一番楽しみだった。幸いにして、地元に帰る旅費ならば腐るほどある。片道6時間という長距離の移動もこの楽しみの為ならば苦には感じなかった。 というわけで、いざ兄と義姉に会う旅行へ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 6, 2011 10:39:45 PM
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