三門と山門の違い
「三門」と「山門」の違いは?という質問をよく受けます。どちらも発音が同じなので紛らわしい出ですが、「山門」はお寺の門全般を指します。お寺のことをお山とか一山(いっさん)いうことが多く、寺号や院号の前に山号がつくことが一般で、文書でお寺を尊称するのに「貴山」ということが一般的です。会社では「貴社」、神社では「貴宮」ですね。かたや「三門」とは「三解脱(さんげだつ)門」の略で、通常は禅宗の本山等に見られる二重門のことです。例外的に知恩院や増上寺・金戒光明寺などの浄土宗の寺院にもあります。「三解脱(さんげだつ)」とは悟りに至る三つの境地のこととされ、「空」・「無相」・「無作」の三種と一般的に言われます。■「空」・・・・「こだわらない」■「無相」・・・「比べない(比較対象しない)」■「無作」・・・「煩悩に捉われない」と私は解釈しています。この三つの境地に達すれば悟りの境地にかなり、近づくということでしょう。この三門を通ったからには、悟りに至るための境地に達するための修行を心がけるように、無言でおしえ諭しているようにも見えます、それだけ圧倒的な威圧感が確かにあります。三門の楼上におはしますのは宝冠釈迦如来像・十六羅漢像・善財童子・月蓋長者または須達長者、このラインナップが一般的です。■宝冠釈迦如来・・悟りの象徴■十六羅漢・・・・自らの力で修行し悟りに向かう象徴■善財童子・・・・純真な気持ちでひたすら様々な人々 に教えを乞い、悟りに至ろうとする 姿勢の象徴。■月蓋長者・・・・または須達長者。仏に帰依して、仏 の教えを聴き、在家のまま悟りに至 ろうとする者の象徴。つまり、悟りに至る(仏になるための)方法には、人それぞれの境遇に拠って異なるが、その方法は違っても、仏になろうと求める姿勢は同じである、ということを三門の楼上は教えてくれているように思います。「三門」とは、そういう教えを秘めた特別な「山門」といえるのではないでしょうか。