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春は百花繚乱の季節でもありますが、京都の花街(かがい)では
それぞれに趣向をこらした、舞踊が披露されています。 桜の開花とともに四月は会期はそれぞれ違えど 祇園甲部では「都をどり」 4月1日~30日 宮川町では「京おどり」 4月第1日曜~第3日曜日 上七軒では「北野をどり」 4月15日~25日 風薫る五月に入って 先斗町では「鴨川をどり」5月1日~24日 と 11月に「祇園をどり」を実施する祇園東部 以外の花街(かがい)では、芸妓、舞妓達が 殆ど総出で連日舞台を勤めます。 夜は夜で、新年度や花見の流れの座敷が 入ったりするでしょうし、花街はてんやわんやの たいへんな時期だと思います。 そんな花街の舞台の中で先鞭をつけたのが 「都をどり」。その歴史は意外と新しく明治5年。 勧業博覧会の目玉イべントとして、当時の京都府 第二代知事、槇村正直の発案で誕生したそうです。 京都検定一級試験問題の難問中の難問、槇村正直知事の施策は こんなところにもあったのです。単なる娯楽ではなく、東京遷都で 元気の無い京都の産業を復興させようとする勧業博覧会の中核事業 であれば、意義は大なるもの有りです。 蛇足ですが、普通「花街」は「はなまち」と読みますが、 京都では「かがい」と読みます。 また、京都では芸者ではなく「芸妓」。単にお座敷用の芸事を 身につけているだけでなく、茶道や華道など教養をしっかり身に つけているSophisticated Lady として扱われているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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