2010/09/22(水)22:51
喜多川泰『賢者の書』2 ~ どんな人間になるのかのみを考えて生きる。
『賢者の書 新装版』
(喜多川泰、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009、1200円)この本の読書メモのつづきです。今日は第4章から。「ネタバレ」になりますので、
お話を純粋に楽しみたい方は、
まず本を読んでから、見てくださいね。=============================
『賢者の書』読書メモ2 (p93~ 第4の賢者の教えから最後まで)
・何になるのかを考えるのではない。 どんな人間になるのかのみを考えて生きる。#「職業」や「役職」などの肩書を目指すのではなく、
どんな人間になりたいのか、ということをはっきりさせる、
ということです。 どんな役職や地位に就こうが、
結局は「どんな人間か」という人間性がものをいうわけですからね。・人間は自らが努力して創り上げたものの上にしか、
安心して立つことはできん。 たとえどんなに素晴らしいものであっても、
他人のつくったものの上では落ちつかん。・君の伝記を読んでいる人間が、
今日のページを読んでいるときに、
「ああ、こいつは成功して当然だ」
「この人は、絶対成功する人だ」と
確信できるような一日にすることだ。・(Q)「人生における成功を手にするとはどういうことか」 △「他人があなたを成功したと認めること」 ◎「自分が成功したと認めること」・感動の多い人生を送りたければ、
感動させてもらう側にいては、
本当の感動の半分も手に入れたことにはならない。 感動させる側になって初めて、
真の感動を十二分に味わうことができる。・勇気を手に入れたければ、人に勇気を与える側に。・何かを身につけたければ、それを教わる側ではなく、
教える側に。・人から認められたいのなら、
認められるのを待つ側ではなく、
認める側に。・人から愛されたければ、愛されるのを期待する側ではなく、
愛を与える側に。★本当に手に入れたいものであればあるほど、
どうやって人に与えるかを考えなければならない。・何がきっかけになるかはわからない。 しかし、自分が今日を新しい自分の誕生日とするたびに、
それまでの自分とは違う新しい人生を始めることができる。・真に学ぶ姿勢がある者にとっては、
世の中のありとあらゆる人が師となりうるのだ。 教えた側が賢者なのではない。
学んだ側が賢者だったのだ。#ちょっと前にブログでふれた
「一木一草 師ならざるはなし」
「私の周りは師匠だらけ」
ですね。・これからは、自分の周りにいるあらゆる人を賢者として、
彼らから謙虚に学ぶ生き方をしていこう。
=============================物語形式の中で、
自分も登場人物のようにして読めたので、よかったです。けっこう、こういう形式の自己啓発小説、
あるものですね。これまでに、何冊か読みましたが、
どれもよかったです。 ↓(^0^)いつも読んでくださって、感謝します!
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