2013/01/04(金)07:38
藤原和博 『35歳の幸福論』 2 ~「感謝」と「畏れ」の感覚をもてるか、ということ
iOSアプリ電子書籍の読書メモ。
その続きです。1月1日から続いています。
(1月1日にアップしたけど日付は12/31(^^;))藤原和博 『35歳の幸福論』
(iOSアプリ、2011、1000円)
『35歳の幸福論 成熟社会を生きる12の戦術』
(藤原和博、幻冬舎、2010、1000円)===============================
『35歳の幸福論』
2
(前回から間を飛ばして、今回はp133~最後まで。
「中学生」への接し方は最後の方に書いてあったものを
まとめの流れ上、3番目に持ってきています。)・現代の子どもたちに必要とされていながら、
圧倒的に不足しがちな「ナナメの関係」の復活につながる。
これがもっとも重要なポイント。 「ナナメの関係」というのは、
教師と生徒、親と子といった「タテの関係」や、
同じクラスの友だち同士のような「ヨコの関係」ではない、
異なる立場に立った人との間に結ばれる、自由で個別的な関係。 評価されたり成績をつけられたりすることのない、
利害関係のない第三者との関係。 住宅を建てるときだって、
「タテの関係」=柱、と「ヨコの関係」=梁だけで家を建てたら、
地震が来れば簡単に倒れてしまう。
「ナナメの関係」=筋交いをたくさん入れないといけない。
これと同じです。 「ナナメの関係」が豊かだと、人間関係の揺れにも強い子が育つ。・日本ではなぜか今、
「ナナメの関係」で学ぶべきことまで親や先生に期待されている。 人間がどこで育つかと言えば、
やっぱり、学校や家だけでなく、
コミュニティのなかで起こるコミュニケーションに揉まれて育つ。 だから、よく言われる「教育を再生する」という言葉は誤り。 再生すべきは「新しい公共」とも呼ばれる
「中間集団(コミュニテイ)」。 むしろコミュニティのなかにおけるコミュニケーションを再生し、
その質と量を豊かにしていくことが、子どもたちを育んでいく。著者は考え方だけでなく実践を重ねてこられている方。 地域社会を巻き込んで、地域の人々と公立中学の教育を再生してきた方です。
それだけに、説得力があります。 著者の中学校長としての取組をまとめた『校長先生になろう!』は
今は文庫化され、読みやすくなっています。おすすめの本です。 ・反抗期に精神的なバランスを崩しがちなことも含めて、大人への胎動。 中学生って、学校ではそれほどではなくても、家では不機嫌なことが多い。
だから、お母さんもまいっちゃったりします。 この時期は、ちょっと距離を取って接するくらいがいい。
自分の子を育てるのに熱心なあまり、追いかけても逃げられるだけ。
むしろ、クラスメートとか、先輩や後輩を含めて、
人んちの子を育てるようなつもりでいくと上手くいくと思います。 以下は、「自分の生き方」に関すること。・すべて「物語」が生まれるほうへ、生まれるほうへ、と動くこと。
そうすれば、他者に語るべき材料として増殖していくことがわかる。 たとえば、「部屋の壁に好きな絵を飾ってみる」からスタートすればいい。
・30代の後半から40代、50代と年を重ねれば、
みんな、なんらかの障害をもって生きているということ。
赤ちゃんは、自分で考えて行動したり、歩いたりはできない。
その点では、認知症や寝たきりのお年寄りと一緒。 この事実をとらえて、人間は、障害者として生まれ、
障害をもって死んでいくのだと説く人もいる。
その間で、障害をまったく意識しないで済む期間はじつに短い。
つまり「デイスアビリテイー(できないこと)」が人間の常態で、
「テンポラリー・アビリテイー(ときどき、できる)」こともある、という視点。
ちょっと勇気をもらえる考え方だと思いませんか? そう考えると、弱みや痛み、病気や苦悩をかかえながら生きるのが、
当たり前に思えてくる。 病気を味方にする生き方です。・ある行為をしたときに、
自分しかいない場所で、かりに誰にも見つからなかったとしても、
なにものか(亡くなったオジイちゃんでも神様でも仏様でも誰でもいいのですが)に
見られているかもしれない、という感覚。 また、何かが上手くいったとしても、
それをまったく自分の個別具体的な能力の御陰だけとは考えない態度。 こういう感覚のことを「宗教的」という。 つまり、「感謝」と「畏れ」の感覚をもてるか、ということ。 神様にじゃなくてもいいから、
自分が活かされている家庭や職場や自然の環境全体に
「ありがとう!」と言えるのか。 夜中、道ばたにタバコやゴミを捨てようとするようなシチュエーションでも、
「ちょっとヤベエかも」と感じられるかどうか。 これが、すべての宗教に共通する態度。 キーワードは「つながり」。 この「つながり」感が宗教の本質。同じようなことは、ずっと思ってきました。
日本ではわりと「宗教」が毛嫌いされるところがありますが、
キリスト教圏なら「神様が見ているから悪いことはできない」と考えるようなところが
日本では、ポイ捨てなどを「誰も見てないからする」みたいなことが
横行してしまう。 自分自身も、誰も見てないと、手抜きをしたり、遊んだり、
悪いことをしたり、ということをずいぶんしてきました。
(今もしていますが・・・(>。<;))
いい意味でも悪い意味でも、「ひとを気にする社会」です。 それで、自分で自分を律するために、どうすればいいのか、
とずっと考えてきた結果、やはり宗教的な考え方が大事ではないのか、
と思い始めてきました。 具体的には、仏教やキリスト教の考え方を勉強して、
自分の生き方に活かそうとしています。 手塚治虫の『ブッダ』とかは中学生の時に読みましたが、
今読んでも名作だと思います。
学校では宗教教育をしてはいけないことになっていますが、
『ブッダ』の本を図書室に入れるとか、
ある程度時間をかけて「これはいい」と思われてきたものは
とり入れる方がいいのではないでしょうか。 特に仏教は、生活上も大きくつながりがあり、
日本史でも習うので、特定宗派に偏らずまんべんなく
「こういう考え方なのですよ」と教えるくらいは
学校でもした方がいいんじゃないかな。・宗教を道具として使え 会社の仕事におけるチームビルデイングでは、
「宗教的」であることが役に立つことがある。
強い組織とは、何らかのカタチで宗教性をもつ。 ある理念の基に結集した集団が強いことには、
疑問の余地がない。
「お客様に他店より一番安いものを提供する」とか
「私たちの下着によって女性を美しくする」とか。 これらの「理念」や「信念」を組織内で共有することは、
願い事を成就させるために行う「お百度参り」や「祈り」の効果と同じ。 なぜ、「宗教的」であったほうがチームが結束し、よりパワーが出るかというと、
構成員(従業員)同士の「つながり」の強度が増すから。============================= 最後は「宗教」のお話にまでいきました。宗教だけでなく、ここでは紹介しなかったファッションや住居など、
多岐にわたる分野で、著者の考え方・実践を具体的に知る本でした。興味のある方は、ぜひ手にとってお読みください。
(iOSアプリだと著者が自宅で撮影した動画がついてきますが、
特に電子書籍で読まなくても、書籍版で十分だと思います。(^。^) ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。
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