2020/12/09(水)20:00
「障害」の「社会モデル」を考える ~津田英二『物語としての発達/文化を介した教育』
昨日のブログでは、インクルーシブ教育に関する保護者の手記『ビバ!インクルージョン』を紹介しました。
その中で、
「「障害」の意味が変わった ~「医療モデル」から「社会モデル」へ」
という章タイトルにも、ふれました。
今日はその「社会モデル」について掘り下げたいと思います。
簡単に言うと、変わるべきは「障害」のある人自身ではなく、周りのほう、社会のほうなのではないか、「障害」は環境や周りとの関係性によって作られるのではないか、
という考え方です。
(この表現の仕方は僕自身の理解の表れであって、何かの本の中での定義ではありません。ツッコミがあったら、ぜひコメント欄でお知らせください。)
日本における「社会モデル」について、具体的なエピソードと共に理解を深めていける本として、オススメの本があります。
『物語としての発達/文化を介した教育』という、神戸大学准教授の津田先生が書かれた本です。
この本の副題が、「発達障がいの社会モデルのための教育学序説」なのです。
ちょっと学術書っぽくて堅苦しい感じがするかもしれませんが、こういった分野を「研究」されている方の本として、非常に読み甲斐のあるものになっています。「研究」としてしっかりと追究していきたいという方には、ぜひ読んでいただきたいと思います。
『物語としての発達/文化を介した教育
発達障がいの社会モデルのための教育学序説』
(津田英二、生活書院、2012、2530円)
タイトルだけからだとあまりインクルーシブな感じはしないのですが、本のオビを読むと、思いっきりインクルーシブ教育を扱った本だということが分かります。
本のオビと同じことが、上の商品リンクの中の「BOOK」データベースにも記載されているので、転載します。
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「問題のある人」「迷惑な人」を特定する社会のあり方、特定の人たちにとって過剰に生きにくい社会のあり方にこそ問題は潜んでいる。
他者との葛藤をノイズとしか考えられない生き方、寛容を忘れかけている社会のあり方にメスを入れ、発達障がい者を生きにくくさせているものとは何かを考えるために、発達を関係の物語として捉え、人間と文化との相互作用こそが教育だという観点を導入する教育学の新たな模索。
(「BOOK」データベースより)
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本書の冒頭部分では、障害のある子どもさんとの実際の関わりのエピソードや、著者の考え方と社会の考え方とのギャップが克明に描かれていて、とても衝撃を受けました。
「私たちがいかに子どもに働きかけることに価値を置きすぎているか」(p7)という言葉には、ドキッとしました。
ちなみに、目次の中で一番僕が好きなのは、
第5章の中の次のところ。
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「彼のことがわかっていく」ということの大切さ
(p248)
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目次に並んでいる言葉って、著者の思いが並んでいると思うんですよね。
僕は目次の中のここの部分に、線を引きました。
この本の中で初めて知った言葉に、
「コンヴィヴァリティ」があります。
社会学者のイリイチが提唱した概念らしいです。
「人と人がつながりあって、共に生き生きと生きること」(p153)という意味だそうです。
これもまた、いい言葉だな、と思いました。
ちなみに、前回のブログの中で「特別支援教育」への批判、ということに少し触れましたが、本書にも同じような記述があります。
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・日本の特別支援教育が、個人の発達や学習への個別的な支援を基礎にしている限り、困っている人を支援するのは教師や外部の専門家の役割に限定されてしまう。
(p203)
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「特別支援教育」においては、もちろん周りの理解やさりげない支援の重要性も指摘されているところではありますが、教育現場の「文化」としては、たしかに「個」に基礎を置きすぎているかもしれません。
こういった議論は非常に面白いと思いますので、まずは議論をおこないたい。
いろいろな人と意見交流をしつつ、現場の渦中にいる自分自身の実践につなげていきたいと思っています。
(関連する過去記事)
▼「インクルーシブ教育」を考えるテキスト『「みんなの学校」をつくるために』
(2020/7/25の日記)
▼インクルーシブ教育について考えさせられる新聞連載「眠りの森のじきしん」
(2020/5/17の日記)