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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

心は物質ではない

*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、などの研究#78~85*イメージ思考でいこう*



さてここで、霊魂とよばれるべき存在がありそうである、ということの論拠を挙げてみましょう

(もちろん、霊魂はあってもなくても転生はありそうである、ということの証明のようなものも何度も記しました)


1。人は何かを決断したと思ったコンマ数秒前に決断している(脳波でそれがわかる)

2。人は経験したことを意識しないでおくこともできるし、コンマ数秒前に遡って意識することもできる(脳波でそれがわかる)(文献にある実験結果をこうまとめ表現するのは非常に難しかった)

そういったことが起こるのは、意識の部位が脳という物質の組織にあるのではなく、霊魂とよばれるべき存在があってそこに意識があるからである、としないと説明がつかない(脳波の一部は霊魂と脳の間の情報のやりとりに伴って発生するのだろう)

そこを詳しく考えていくと、身体があり、身体の一部として脳があり、その脳に知性体が宿り、その脳に意識の主体が宿っている
(知性体=霊。意識の主体=魂。それらの概念にあたる概念・単語がすでにあったということ自体もその正しさを裏づけていると思われます)
それらの間に心的内容のやりとりがある
身体と脳の間は双方向
脳と知性体の間は双方向
脳と意識の主体の間は双方向
それ以外のやりとりはない

しかも、脳と意識の主体の間のやりとりは自在に遮断できる(それは知性体がなしているのであろう)(あるいは脳の可能性もあるが、脳が自発的な活動をするのかどうか)

以上のようになっていると仮定すると、1。2。の不思議な現象がうまく説明できる
それ以外のありようはないと思える
(図は描いてあるので、そのうちアップロードするかもしれません)

(右脳、左脳、知性体、意識の主体のつながりの関係の研究を


さらに、夢について考えてみると、
眠っていて肉体的には意識がないのに、夢を見ていてそれを意識しながら見ている、そんな夢がある
それは、意識というものは肉体の一部の脳にあるのではなく、霊魂とよばれるべき存在があってそれにあるのである、としか説明ができない

これも上に述べたモデルで説明がつきそうである
ただ、そのばあいの夢の実体がどこにあるのか、という問題がある

1)脳のどこか
2)いわゆる霊界という世界があってそこの現実が夢の実体である

それについて考えるにあたって、次のようなことを追求してみよう

まず、質の科学のひとつのポイントである、「質」について述べる(すでに何回か詳述しました)

「質」とは、体験の性質・本質・味わい・意味・価値などのことであり、人が何かを体験すると、意識の主体にそれに応じた変化(記録・痕跡)がつく

その変化は質時間というベクトルのようなものである

質というのは何もないところから対になって生じたものであり、対にするとゼロのようなものに隠れる
質は運動量(ベクトル)に対応させて考えることができるので、それは運動量保存則にあたる

質時間も同じく対になって生じたものであり、対にするとゼロのようなものに隠れる
質時間は運動量時間(数学的に導き出される位置ベクトルであるが、使われていない)にあたる
運動量時間は回帰する(一次元と二次元で)(質時間との対比を考えるばあいは、一次元で扱う)
質時間も同じく回帰する

質時間回帰則;
意識の主体を壊さないために質時間は回帰する
質時間は、確率的にも必ず原点に回帰する(一次元と二次元で)(質にはさまざまな種類・質があるが、それぞれひとつの質について論じればよいので、一次元でその確率を計算すればよく、その結果もそうなった)

つまり、物質世界の物理法則として運動量保存則と運動量時間保存則があり、精神的な世界(霊魂的な世界)には、それに対応する質の法則と質時間回帰則(精神的借金は必ず返させられるという法則)があるということであるから、納得がいく

さてここで、
質時間も保存される、ということもわかった
質時間が保存されるということは、
人が昇天しても、その質時間は消えないということである
つまり、霊魂のような存在があってそこにその質時間が残るということになるだろう
よって、ここにさらに霊魂のようなものの存在の証明のようなものがあるわけである

さらに、
この世界で、世界中の肉体人間たちが質と質時間のやりとりをなしている(言動・やりとりなどによって)わけであるが、
そこだけにおいて計算してみると、質と質時間の総計(方向性・質をもったベクトルのようなもの)が保存されていない
上に述べたように、質時間をもった霊魂が存在するので、霊魂の世界(霊界と名づけよう)での質と質時間の総計を計算すると、ちょうど辻褄があう

よって、いわゆる「霊界(異次元世界)」という世界はあるとするしかないようである

(直前に、世界中の肉体人間たちが質と質時間のやりとりをなしているうんぬんと述べたが、それも結局、霊魂の世界のものといえる)


さて、懸案の、そういった夢の実体は何か、という問いに対する答えは
2)の「いわゆる霊界という世界があってそこの現実が夢の実体である」ということ以外になさそうである


結局、物質世界にある肉体の一部である脳という物質の組織は、意識の主体(魂)と知性体(霊)を通じて異次元世界である霊界とつながっており(というよりも意識の主体(魂)と知性体(霊)は霊界の存在であるといえる)霊界と心的内容のやりとりがなされている、ということになるのだろう

その霊界には世界中のすべての人たちの意識の主体(魂)と知性体(霊)がつながっているということになり、世界中の人たちの間でそこを通じて心的内容のやりとりができる可能性がある、ということになるだろう

以上の研究結果で、さまざまな本などに載っている不思議なことの説明がつく

(あとでもっと論を発展させるので、さらにもっと不思議な世界の説明もできるでしょう)


(不思議な世界をイメージ思考で考え、それをイメージ思考で論理的に表現しました。このように、論理的思考といえども、イメージ思考で考えたことをイメージ思考で人に説明できる形にする、ということです)


さらに続けます


心は物質ではないことは確かである

では、心とは何だろうか

物質でなければエネルギーの世界しかない(物質もエネルギーのひとつのあり方・一形態であるが、物質を氷と水にたとえると、エネルギーは水蒸気といったところだろう)

エネルギーの世界というだけではまだ不完全であり、心はエネルギーの波動の世界である、というありようしかない、といえるだろう

波動というのはエネルギーのもつ情報の世界だといえる

心も情報・心的内容の世界であるからそれは納得がいくし、それ以外のありようはない、と思われる

さてそこで、脳の中でそういった波動性の高いものとしては電子と中間子その他があるが、それらは、それらが数多く集まって一体性・全体性を形作るということはない(ただし、電子についていえば、ふたつの電子が特定の関係をもてば、それらがどんなに離れていても時間ゼロで特定の情報を交換できる、という不思議な性質を現すが)

電子やその他がたったひとつで意識の主体か知性体になる、ということがあるのなら、脳の中にはとてつもない数の電子やその他があるので、収拾がつかないというか、そんなことはありえない、ということになる

意識の主体と知性体はそれぞれが一体性・全体性を形作っている

よって、脳という物質の組織が「意識の主体」と「知性体」を形作っているということはない

つまり、「意識の主体」と「知性体」は物質でできておらず、いわゆる霊魂とよばれる未知の存在である、ということになる

ここにも、霊魂とよばれる存在がある、という論拠がある

さて、「意識の主体」と「知性体」つまり霊魂のようなもの、は波動性が非常に高い存在であり(この世界で波動性最高の存在だろう)、脳とは関係ない(脳に宿っている存在)、ということがわかった

それはどういった存在だろうか

ここから、「意識の主体」と「知性体」つまり霊魂のようなもの、を「霊魂のような存在」とよぶことにしよう

「霊魂のような存在」は波動性が非常に高いということがわかった(この世界で最も波動性が高いのだろう)

それはなんらかの構成要素から組み上げられているのだろうか

それとも構成要素から成っているのではなく、たんにひとつの存在なのだろうか

後者だとすると、それ以上の追求・研究はできない
そういう存在がこの世界に現にあって、意識や心を生じるのである、ということに尽きる(ただし、その性質や特性その他の研究はできる)

前者であるとすると、「霊魂のような存在」は物質の究極の構成要素から成っているのか、とか、それをこの世界の物理法則(すでに発見され記述されたもの)から理解できるのか、という問題提起ができる(それに答えられそうなのは、現在のところ超ひも(超弦)理論しかないと思われる)
もちろん、最終的には、「霊魂のような存在」が意識や心をもつのはなぜか、という問いには答えられないのははっきりしている
それは、なぜ物質やエネルギーは存在するのか、なぜそれらはそれぞれの性質や機能を現すのか、なぜそれらが組織されると肉体までできるのか、なぜ物質の組織はさまざまな性質・働きを生じるのか、などといった問いに答えられないのと同じである

ではここで、現在の物理学の最先端、超ひも(超弦)理論的に


超ひも(超弦)理論が提起した最小構成要素から成り、そのさまざまな振動モードたちが


それとも、その最小構成要素がさらにもっと小さい構成要素から成っており


あるいは、それらとは関係のない超微細な構成要素から成っていて




(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)


人が自分であるのは


自分が自分であるのは何によるのでしょう

普通こうみなしているのではないだろうか
顔・姿形、生まれ育った環境、周りの人たちとの関係、学んできて身についたもの、記憶、経験、性格・性質、性別、考え方、才能・能力、実績、など、それらがいっしょくたになったものが自分である、と。

ところが事実はそうではありません

自分が自分であるのは、「意識の主体」によるのです(たとえば、脳の中で意識の部位以外を取り去っていくと、意識以外の知性的機能はなくなっていくが、意識は存在する、という現実がある。霊魂があるばあいはこの説明だけでは勘違いを招くけれど)

ここでいう意識とは、


(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)


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